テミグラグスク

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テミグラ(当銘蔵)グスク

データ

グスク名 テミグラグスク
読み てみぐらぐすく
別名
所在地 八重瀬町当銘
現況 西部プラザ公園など
築造年代 不詳
築造者 不詳
主な城主 当銘蔵(テミグラ)按司?
種別 居城
構造物 拝所、城門、拝井、按司墓、郭、標柱

記録

初回探訪年月日 2005/8/31
最終探訪年月日 2015/9/21
満足度(A-G) D 元々石積み遺構などは確認されていなかったようです。
過去の記述
所在地 八重瀬町当銘
分類 居城
築造年代 不詳
築造者 不詳
主な城主 当銘蔵按司

以前は木が生い茂った場所だったようですが、現在はかなりの部分が公園化されています。
伝承によれば城主の当銘蔵按司は八重瀬按司と争いになり、戦になると一度退いたそうですが、相手が油断したところで反撃して、打ち破ったといわれています。
西部プラザ公園のグスク広場は郭跡ですが、北に城門跡と伝えられる場所があり、その内側には蔵屋敷跡、根屋、カーや按司墓などの拝所が多数あります。

概要

テミグラグスクは当銘集落北、小城集落南で両集落境界付近の丘陵上、標高約80mの場所にあります。
かつては草木が茂る小高い丘だったようですが、現在は西部プラザ公園の一部として整備されています。
グスク北方500mほど離れたアタンジャー(当門=あたいじょう1)琉球王国の真実 第五章-十四)山に城門があったと云われ、現在は大門(うふじょう)として整備されています。

歴史、伝承

このグスクの詳細な歴史は分かっていません。
伝承によれば小城、志多伯、当銘を治めていた2)ぐすく-グスク分布調査報告 (Ⅰ)-沖縄本島及び周辺離島当銘蔵按司の居城だったと云われています。

当銘蔵按司の伝承

当銘蔵按司はグスク東にある3)角川日本地名大辞典 47 沖縄県 P490安里森で兵の訓練を怠らず、近隣で勢力を増してきた八重瀬グスクの按司に対抗して備えていたのだそうです。
やがて八重瀬按司の軍がグスクまで攻め寄せて来ます。
当銘蔵軍の兵はグスクから逃れ、その後敗走したと見せてナバ嶺に隠れたのだそうです。
そして八重瀬軍の兵が休息を取り始めると、その隙を見逃さず当銘蔵按司は兵をまとめて反撃に出ます。
思わぬ不意打ちで反撃された八重瀬軍の兵は八重瀬グスクまで敗走したと云われています。
勢いに乗った当銘蔵按司は南山グスクを攻めようとしますが、山南王に敵し難く山南に仕える事になったと云われています。
しかし当銘蔵按司と八重瀬按司の争いは最終的に八重瀬按司が制したとする見方もあるようです4)角川日本地名大辞典 47 沖縄県 P924
また山南に仕えた後、当銘蔵按司は和睦のために中山へ向かったまま帰らぬ人になったとする伝承もあるようです5)琉球王国の真実 第五章-十四

感想

グスク主郭跡と見られるグスク広場があるのは当銘集落ですが、城門跡とされる大門やその周辺の蔵屋敷跡や多くの拝所、古墓などが小城集落にあるため両集落に跨っているグスクと言えます。
上記の通り、グスクは現在西部プラザ公園の一部として整備されていますが、グスクに関する場所は説明書きの付いた標柱があり手入れもされているため非常に散策しやすくなっています。
しかし一部の拝所や古墓の周辺などあえて手を付けていないと思われる場所もあるため、聖域としての雰囲気も残っているグスクと言えます。

探訪記

2006/3/19

北側から見るグスク グスク域を北側から見ます。
整備されたグスク グスク跡。きれいに整備されています。
グスク南側の道 グスク域南側の道。
整備された部分から直接行き来することは出来ません。
木が生い茂った一角 こちら側は木が生い茂って岩が露出した森です。

2015/9/21

展望台と馬場
グスクの北にある展望台。
その脇の道は馬場跡と云われているようです。
復元(?)された城門である大門(うふじょう)。
城門はこの場所にあったと云われているようです。
大門から進入すると蔵屋敷跡があります。
周辺は拝所が多数あります。
嶽之火神。
按司墓。 付近の古墓。
こちらも按司墓かも知れません。
古墓らしき拝所。 北側から見たグスク主郭方面遠景。
グスク主郭跡であるグスク広場。 主郭跡にある拝所。

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脚注

   [ + ]

1, 5. 琉球王国の真実 第五章-十四
2. ぐすく-グスク分布調査報告 (Ⅰ)-沖縄本島及び周辺離島
3. 角川日本地名大辞典 47 沖縄県 P490
4. 角川日本地名大辞典 47 沖縄県 P924

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