多多名グスク

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多多名(多々名)グスク

データ

グスク名 多多名グスク
読み たたなぐすく
別名 ハナグスク(玻名グスク、花グスク)
所在地 八重瀬町玻名城
現況
築造年代 14世紀
築造者 不詳
主な城主 玻名城(花城)按司?、多々名大主?
種別 居城
構造物

記録

初回探訪年月日 2005/10/23
最終探訪年月日 2012/1/5
満足度(A-G) / 進入路が無く中に入れていません。
過去の記述
所在地 八重瀬町玻名城
分類 居城
築造年代 不詳
築造者 不詳
主な城主 玻名城(花城?)按司、多多名大主

玻名城集落の高台の上にあるグスク。
野面の石積みや四つの郭が残っているそうですが、
周囲の雑草や藪がひどく進入を断念。

概要

多々名グスクは玻名城集落東の丘陵先端部、標高約91mの場所にあるグスクです。
グスクは野面積みの城壁と四つの郭を備えた大規模なグスクで、周辺地域におけるかなりの権力者が拠ったグスクと見られています。
別名の玻名城としておもろにも名を残していますが、名前の由来は丘陵の端(ハナ)に築かれているからとする説1)角川日本地名大辞典 47 沖縄県 P450と海に突き出た丘陵先端が鼻に見えるからとする説2)琉球王国の真実 P131があるようです。

歴史、伝承

このグスクの詳細な歴史は分かっていません。
グスクを築いた按司についても伝わっていないようですが、伝承では玻名城世之主(玻名城按司)と多々名大主(多々名按司)の存在が言い伝えられているようです。

多々名大主の伝承

玻名城按司は領民に対し善政を敷いていたそうですが、多々名大主は玻名城按司を殺害し按司の座を簒奪します。
按司となった多々名大主は苛税を課し、大将の外間大屋子が諌めると打首にします。また大屋子の息子外間之子3)「琉球王国の真実」によれば家臣の吉田子ともは大主に捕らえられる前に自刃したと云われています。
これらの状況を見て、大屋子に仕えていた岸本は国頭の辺戸村にて隠居していた旧臣の屋比久大屋子に知らせます。
屋比久大屋子は方々に逃げていた旧臣を集めてグスクを攻めます。堅牢なグスクなため攻めあぐねたものの、多々名大主を討ち取ったと云われています。
多々名大主を討った後は隠れていた玻名城若按司が跡を継いだとも云われているようです4)沖縄戦国時代の謎 P27

感想

グスク北側崖下に標柱と説明板が設置されていて、西側のサザンリンクスゴルフクラブ内に標柱がありましたが、どちらもまともに進入出来る道が無い状態です。
西側の標柱は2008年まで確認出来ましたが、2012年時点では確認出来ない状態となっていました。
八重瀬町内では最も良好な遺構を残し、規模も屈指であると思われますので、出来れば管理整備して欲しい所ではあります。

探訪記

グスク西にある標柱 グスクの西、
サザンリンクスゴルフクラブ内にある標柱
ここからしばらく歩きます。
グスク入り口付近のはずですが・・・ 西側からグスクに接近した場合、
こういった雑草などに阻まれます。
んじゃガー グスクの北にあるんじゃガー。
グスクの井泉だったそうです。
多々名グスク案内板 グスクの案内板。グスクの北側にあります。
また後方にグスクがありますが
傾斜のきつい斜面が阻んでいます。

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脚注

   [ + ]

1. 角川日本地名大辞典 47 沖縄県 P450
2. 琉球王国の真実 P131
3. 「琉球王国の真実」によれば家臣の吉田子とも
4. 沖縄戦国時代の謎 P27

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