泊グスク

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泊グスク

データ

グスク名 泊グスク
読み とまりぐすく、とぅまいぐすく
別名 カクリグスク
所在地 うるま市与那城宮城(宮城島)
現況
築造年代 14世紀?
築造者 高花按司?
主な城主 川端イッパー?
種別 居城?
構造物 拝所、虎口、郭、石積、標柱

記録

初回探訪年月日 2005/12/28
最終探訪年月日
満足度(A-G) C 城壁は確認出来ませんでしたが、郭、虎口といった遺構や石積もあります。
過去の記述
所在地 うるま市与那城宮城(宮城島)
分類 居城
築造年代 14世紀頃?
築造者 不詳
主な城主 川端イッパー

中北山の今帰仁世の主が滅亡した際に
今帰仁グスクから落ち延びた家臣団の一人の妻が男子を産んだため
そのまま宮城島に住み着き、その子孫がグスクを築いたといわれています。
ある時代の主だった川端イッパーは対岸の伊計グスクのアタチヘクドンと
争っていたそうです。

概要

泊グスクは宮城島の北東にある標高約15mの独立丘陵上に築かれたグスクです。
四方を崖に囲まれていますが、南西はやや緩く虎口が取り付けられています。

歴史、伝承

このグスクの詳細な歴史は分かっていません。
伝承としては、今帰仁グスクから落ち延びた家臣団の一人の妻が男子を産んだため
そのまま宮城島に住み着き、その子孫がグスクを築いたといわれています。1)沖縄のグスクめぐり
似た伝承として、怕尼芝に滅ぼされた今帰仁按司の子が島に落ち延び、
しばらく洞窟に隠れた後にグスクを築き、高花按司と呼ばれたのだそうです。2)沖縄戦国時代の謎 P131
別の資料では今帰仁按司の末子である志慶真樽金が島に落ち延びてグスクを築いて川端イッパーと名を変えたとしています。3)琉球王国の真実 P44
どの資料でも川端イッパーが伊計グスクと争って敗れたという点では共通しています。
ただ川端イッパーはグスク下の干拓を行ったとも云われているようです。4)沖縄戦国時代の謎 P131

考察

上記の伝承は元は同じで、若干違う形で伝わったものと思われます。
いずれも

  • 今帰仁按司の近親者により築かれた
  • 川端イッパーという城主がいて伊計グスクと争って敗れた

この二点で共通しています。
またある伝承で登場する高花按司という名前は宮城島の旧称である高離島から来ていると思われます。
伝承上では川端イッパーが城主ですが、それが一代限りだったのか、川端イッパーの前に城主がいたのかという点は気になります。

感想

虎口を抜けてグスク内に入ると意外と広く、散策しやすかった印象です。
ただ郭は広めですが、明確な城壁が見受けられませんでした。

探訪記

岩山に見えるグスク グスク入り口。岩山のような形で遠めにも目立ちます。
石が詰まれた虎口 グスク虎口。周りに石が積まれて僅かな道を確保しています。
拝所と石積み グスク内の拝所と石積み。左側は断崖で海になっています。
グスク奥の郭 グスク奥の広場。郭の跡だろうと思われます。

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脚注

   [ + ]

1. 沖縄のグスクめぐり
2, 4. 沖縄戦国時代の謎 P131
3. 琉球王国の真実 P44

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