玉城グスク

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玉城グスク主郭城門

玉城グスク

データ

グスク名 玉城グスク
読み たまぐすくぐすく、たまぐすく
別名 アマツヅグスク
所在地 南城市玉城玉城
現況
築造年代 13世紀頃
築造者 不詳
主な城主 玉城王?、玉城按司
種別 居城、聖域
構造物 城壁、城門、拝所、郭、石積、石碑、説明板

記録

初回探訪年月日 2005/8/21
最終探訪年月日 2009/4/2
満足度(A-G) C 主郭は良く残っていますが、他の郭は湮滅状態です。
過去の記述
所在地 南城市玉城玉城
分類 聖域・居城
築造年代 不詳
築造者 不詳
主な城主 玉城按司・玉城王

このグスクはかなり古い部類と見られ、聖域のひとつとして数えられています。
かつては丘の下にも郭があったそうですが、道路工事などで持ち出され、
現在は丘の上の主郭を残すのみです。

概要

玉城グスクは玉城集落北にある標高約180m、比高約30mの独立丘陵上に築かれたグスクです。
伝承ではアマミキヨによって築かれたと云われ、城郭として用いられなくなった後も東御廻いで琉球国王が巡礼する聖地の一つでした。
頂部にある主郭は城門や城壁といった遺構が良く残っていますが、麓にあった二の郭、三の郭の城壁は大戦後に米軍により建築用資材として持ち出されたのだそうです。

歴史、伝承

上記の通り、このグスクはアマミキヨによって築かれたと云われ、
同じく伝承上の存在である天孫氏が城主であったと云われています。
その後英祖王統4代目玉城王が居を置き、グスクを拡張したと云われています1)沖縄のグスクめぐり

義本王の焚刑伝説

舜天王統3代目義本王の頃、長期に渡り干ばつが続き、疫病も流行りだしたと云われています。
王は自分に徳が無いためと考え、摂政であった英祖に王位を禅譲したと云われています。
そして玉城グスク内で薪を積み上げその上に登り、家臣に火を付けさせ自らを焚刑に処そうとしたとされています2)「琉球王国の真実」では雨乞いの儀式としています。
しかし火が燃え移る直前に大雨が降り、火が消されたため義本王は命拾いし家臣を連れて帰ったと云われています。3)沖縄のグスクめぐり

落城伝説

後の城主である玉城按司は(島尻)大里按司4)資料によっては高嶺按司ともに従わなかったため、討伐を受けることになります。
按司は一度は城外に出て大里軍に対抗するも敵わず、城内へ逃げ戻るのが精一杯でした。
グスクを包囲した大里軍ですが、籠城したグスクを数日攻めても落とせなかったため、水の手を絶つ作戦に変えます。
大里軍の作戦を察した按司はグスク内の高所に馬を連れて、白米を水に見せかけてかけたと云われています。
大里按司は作戦が失敗したと考えて撤退しようとしますが、玉城按司が使ったのは水で無く白米であると進言したものがいたため作戦を継続し、水を絶たれたグスクは落城したと云われています。

感想

岩をくり抜いた城門で知られる玉城グスクです。
城門が印象的なので、初めて訪れた際は麓には郭があった事を知りませんでした。
もっとも当初は頂上のみだったのが、麓にまで拡張されたのだと思われます。
主郭は概ね良く残っているのですが、城門が風化が進みつつあるように見えるのが気がかりです。

探訪記

2005/8/21

主郭へ向かう石段 このグスクのシンボル的な城門
主郭へと向かう石段。
右手は急な斜面ですので注意が要ります。
このグスクのシンボル的存在の主郭の城門。
岩をくりぬいた形になっています。
主郭内の拝所 城壁から下を見下ろします
主郭内にはこのような拝所が多数あります。 城壁越しに下を見下ろします。

2009/4/2

玉城グスク遠景 玉城グスク城跡碑
グスク遠景。 城跡碑と説明板。
麓の郭跡 主郭へ向かう石段
麓の郭跡。
現在は根石のみだそうです。
主郭へ向かう石段。
玉城グスク主郭城門 玉城グスク主郭内城壁
主郭の城門。
風化が進行しつつある印象です。
主郭内城壁。
玉城グスク主郭内。 玉城グスク主郭からの長め。
主郭内の様子。
意外と広さがあった印象です。
主郭から見下ろします。

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脚注

   [ + ]

1, 3. 沖縄のグスクめぐり
2. 「琉球王国の真実」では雨乞いの儀式としています。
4. 資料によっては高嶺按司とも

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