知念グスク

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知念グスク

データ

グスク名 知念グスク
読み ちねんぐすく
別名 知念森グスク
所在地 南城市知念知念
現況
築造年代 不詳
築造者 不詳
主な城主 知念按司?
種別 居城?、聖域
構造物 城壁、城門、拝所、郭、按司墓、石碑、説明板

記録

初回探訪年月日 2005/9/3
最終探訪年月日 2009/4/2
満足度(A-G) B 修復などを経ながら城壁などが保存されています。
過去の記述
所在地 南城市知念知念
分類 聖域
築造年代 15世紀(新城)古城は不明
築造者 知念大親(新城)
主な城主 知念按司、知念大親

新城(ミーグスク)と古城(クーグスク)の二つの郭があります。
古城の築造年代は不明ですが、知念按司の居城であると同時に
知念杜グスクと呼ばれ古来より聖域として用いられたといわれ、
第二尚氏王統三代目・尚真王の時代に遥拝所として新城が築かれたそうです。
近世においては知念間切番所としての役割を置かれました。
東御廻りの巡礼地の一つである
聖域としての性格が強いグスクです。

概要

知念グスクは知念集落北西の台地南端、標高約100mの場所に築かれたグスクです。
新城(ミーグスク)と古城(クーグスク)の二つの郭から構成されています。

歴史、伝承

このグスクがいつ築かれたか詳細は分かっていないようですが、天孫氏(アマミキヨとも)により築かれたと云われ古い部類のグスクとされているようです。
知念按司代々の居城であったと伝承されている1)ぐすく-グスク分布調査報告 (Ⅰ)-沖縄本島及び周辺離島ようですが、按司に関する詳細な伝承は伝わっていないようです。
また、グスク時代の時点ではクーグスクのみだったと見られています。
第二尚氏三代目尚真王の頃、内間大親と呼ばれる人物がグスクを増築し、それが現在見られるミーグスクとされています。
1761年、知念間切番所がグスク内に置かれたとされています2)沖縄の拝所300 P82

内間大親

伝承によると知念に古根(クニ)という大掟(ウフウッチ、村の長)がいたそうです。
古根は仁義の心が厚く、裁断は公正無私だった事もあり村人から敬愛され大掟の前(ウフウッチヌメー、前は尊称)と呼ばれていたそうです。
時の尚真王が古根大掟の評判を聞き、久高島へ参詣する際には随員にしたと云います。
そして王は古根に妻がいない事を聞くと、西原間切内間村の女性を妻に娶らせ、子が出来ないと知ると妻の一族から男子を養子に出させたと云われています。
この養子は古根大掟が没した後、知名地頭職を継ぎ内間大親と呼ばれます。
俗説では内間大親は尚円王が内間地頭だった頃に内間ノロとの間に儲けた子と云われ3)沖縄戦国時代の謎 P364)ぐすく-グスク分布調査報告 (Ⅰ)-沖縄本島及び周辺離島、古根大掟の妻は内間ノロの妹であったと云われています5)ぐすく-グスク分布調査報告 (Ⅰ)-沖縄本島及び周辺離島
そのため内間大親は尚真王の異母兄弟とも云われているそうです。
内間大親は知名グスクに居を置いていましたが、後に知念按司に任ぜられグスクを増築したと云われています。

探訪記

2005/9/3

新城城門 新城の城壁
新城表門。
見事なアーチを描いています。
新城の城壁、聖域としての意味合いが強いグスクで
あるためか小規模です。
新城郭内 新城裏門
新城郭内、久高島を望む遥拝所もあります。 新城裏門、こちらも表門と同様アーチになっています。

2009/4/2

新城城門 新城城門
新城表門。
城壁補修された後です。
新城の郭内。
ロープで通行できない場所もあります。
新城裏門 新城城門
新城裏門方面を見ます。
裏門側は通行できません。
新城内の拝所。
老朽化したため立ち入り禁止です。
古城方面 古城への道
新城表門から東側を見たもの。
城壁の奥に古城があります。
古城への道。
危険らしく現在は立ち入り禁止です。
遥拝所への道 遥拝所
拝所へ向かう道。 新城南西にある拝所。
ノロ屋敷跡 拝所
グスクの向かいにあるノロ屋敷跡。 ノロ屋敷跡にある拝所。
知念大川 按司墓へ向かう道
グスクの南西にある知念大川(ちねんうっかー)。
受水走水とともに稲作発祥の地と言い伝えられて
います。
東御廻りの巡礼地の一つです。
グスクから西に向かい
知念按司墓へ向かう道。
按司墓前 知念按司の墓
知念按司墓へ向かう登り道。
訪れるのは二度目ですが
こんなにきつかったかと首を捻ったり
知念按司の墓

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脚注

   [ + ]

1, 4, 5. ぐすく-グスク分布調査報告 (Ⅰ)-沖縄本島及び周辺離島
2. 沖縄の拝所300 P82
3. 沖縄戦国時代の謎 P36

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