米須グスク

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米須グスク

データ

グスク名 米須グスク
読み こめすぐすく
別名
所在地 糸満市米須
現況
築造年代 13世紀頃
築造者 米須按司
主な城主 米須按司
種別 居城
構造物 城壁、虎口、郭、石積、説明板、標柱

記録

初回探訪年月日 2005/9/11
最終探訪年月日 2006/3/11
満足度(A-G) B 主郭は散策しやすく、遺構も良く残っています。
過去の記述
所在地 糸満市米須
分類 居城
築造年代 13世紀頃
築造者 米須按司
主な城主 米須按司
南山グスクの出城として築かれたそうです。
按司を殺害され、婦人が復讐したという伝承があります。

概要

米須グスクは米須集落北の丘陵上、標高約50mの場所に築かれたグスクです。
主郭(上グスク)と二の郭(下グスク)からなっています。
南山グスクの出城として築かれたと云われ、按司夫人による復讐譚の伝承が知られています。

歴史、伝承

このグスクの詳細な歴史は分かっていませんが、
三山時代に米須按司が南山グスクの出城として築いたと云われています。

米須按司に関する伝承

米須按司については複数の伝承があるようです。
米須按司は叔父の奥間按司とともに国頭へ行った際、事件があって慶良間へ落ち延びたといわれているようです。
按司は後に米須に戻り、南山グスクからやって来ていた按司の後を継いだと云われているようです1)琉球戦国時代の謎 P56
また謝名村の謝名按司が離島に落ち延びた後、米須に渡って按司となり集落を開いたとも云われているようです2)琉球戦国時代の謎 P56
上記を組み合わせた様な物で、按司が慶良間に落ち延びた後、大米須親方の子である米須里主が按司になっていたものの、第一尚氏が滅びた際に山原へ落ち延びたため、
慶良間に落ち延びていた按司の孫である謝名之子が米須に戻って米須若按司になったとする物もあります3)琉球王国の真実 第八章-十

夫人の仇討ち伝説

米須若按司の夫人は美人で知られていたそうです。
若按司の家臣である我瀬之子は夫人の我が物にしようと画策し、
若按司を舟遊びに連れ出し、舟から突き落として亡き者にします。
若按司亡き後グスクを出ていた夫人を見つけた我瀬之子は、夫人を口説いて妻にしようとします。
夫人は一計を案じ、我瀬之子の求婚を受け入れる振りして、新築の家を建てようと提案し、材木を探すために山に連れ出します。
ある大木の前に来た夫人は木の太さを測るためとして我瀬之子に大木を抱えさせます。
我瀬之子が大木に両腕を回したところで夫人は我瀬之子を刺し仇を討ったのだそうです。

上記の伝承は「沖縄のグスクめぐり」「ぐすく」「琉球王国の真実」いずれも若干の違いがあります。
「沖縄戦国時代の謎」「琉球王国の真実」では我瀬之子は米須若按司が野盗に襲われ応戦していた所を助けた縁で仕えるようになったと記載していますが、「琉球王国の真実」ではこの件は我瀬之子による狂言であるとしています4)琉球王国の真実 第八章-十
また同書では

  • 我瀬之子は大城森按司の長子
  • 仇討ちがあったのは糸満市与座と八重瀬町高良の間にある我瀬原森
  • 若按司夫人を巡る一連の件があったのは第一尚氏滅亡直後の時期

などといった興味深い記述があります。

探訪記

2005/9/11

グスク入り口付近にある説明板。
糸満市内でも保存状態が良いグスク
という点は間違いありません。
南から見た整備前の登城道。
グスク内の道 主郭城門
グスク内の道。
右手の林はかつて下城と呼ばれる
二の郭だったそうです。
主郭城門。
散策がしやすい主郭内 主郭の城壁
主郭内。
非常に散策がしやすいです。
主郭内の城壁。

2006/3/11

南側から見た整備後の登城道。 二の郭へ向かう石畳道。
二の郭の拝所 二の郭脇の石畳道
下城(二の郭)内の拝所。
主郭と比べると鬱蒼とした印象。
二の郭脇を通る石畳の道。
途中までしか行けなかったので
どの程度の長さか不明です。

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脚注

   [ + ]

1, 2. 琉球戦国時代の謎 P56
3, 4. 琉球王国の真実 第八章-十

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