糸満市

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糸満市のグスクです。
適宜更新していきます。

糸満市のグスク

概要

糸満市は王国時代の間切で5間切(兼城、高嶺、真壁、摩文仁、喜屋武)に相当し、密集地があるなどグスクの分布も高めとなっています。
そのため他の市町村と比べて飛び抜けて数が多いため、分割して紹介していきます。

兼城地区

概要

兼城間切は兼城、照屋、潮平、座波、賀数、阿波根、武富から成っていたようです1)角川日本地名大辞典 47 沖縄県 P267
ただ武富は古琉球時代には豊見城に2)角川日本地名大辞典 47 沖縄県 P448、照屋は高嶺に3)角川日本地名大辞典 47 沖縄県 P480属していたようです。
座波を除いた各集落でグスクが確認されていますが、そのうち按司の伝承があるのは兼城、照屋、潮平の各グスクとなっています。
しかし兼城按司と照屋按司は仲が悪かったと云われているようです4)沖縄戦国時代の謎 P43

兼城地区のグスク一覧

グスク名 地区 探訪年月日 概要
武富グスク 武富 2005/9/17 詳細は個別ページにて。
阿波根グスク 阿波根 2005/10/6 詳細は個別ページにて。
賀数グスク 賀数 2005/10/2 詳細は個別ページにて。
潮平グスク 潮平 2005/10/2 詳細は個別ページにて。
奥間グスク 兼城 2005/10/2 詳細は個別ページにて。
兼城グスク 兼城 2005/10/9 詳細は個別ページにて。
照屋グスク 照屋 2005/11/13 詳細は個別ページにて。

高嶺地区

概要

高嶺地区は山南王の居城だったと見られている南山グスクを中心とした地域です。
元々は中心地である大里で呼ばれ、山南王である承察度(うふさっと)も大里(按司)の当て字とされています。
ただ島添大里との区別するため島尻大里と呼ばれるようになり、1667年に高嶺間切と改称されたようです5)角川日本地名大辞典 47 沖縄県 P391
島尻大里と呼ばれていた頃は与座、屋古、国吉、小波蔵、名城、糸洲、慶留など11村から成り6)角川日本地名大辞典 47 沖縄県 P391、比較的広い領域を有していたようで、これが古琉球時代の高嶺地域の領域ではなかったかと思われます。
しかし高嶺間切と改称された後は与座、屋古、国吉、慶留の4村となっていたようで7)角川日本地名大辞典 47 沖縄県 P443、大幅な領域再編があった模様です。その後1674年に兼城間切から真栄里などが編入されたようです。
また屋古村は当時大里集落も含めていた地域の中心地で、1764年頃大里村と改称したようです8)角川日本地名大辞典 47 沖縄県 P695
慶留(ぎる)村9)「琉球王国の真実」では義留村は現在、与座の一部になっているようです。
現在の高嶺地区での主要なグスクは南山グスクと、その出城であったと云われている与座グスク、大城森グスク、国吉グスクと先中城按司の居城とされる真栄里グスクがあります。
出城とされているグスクの内、与座グスク城主与座大主と国吉グスク城主国吉大屋子は金屏風の伝承で知られています。
南山グスクは標高約50m、比高10mと地形は決して堅固とは言い難いですが、周辺に出城を築く事で補っていたと見られているようです。
山南滅亡後の南山グスクの詳細は分かっていませんが、尚巴志王が按司を置いたとする伝承があるようです10)琉球王国の真実 第六章-七
しかし1719年に冊封副使徐葆光が訪れた際にはかつての王城としての面影はなかったようで11)沖縄の名城を歩く P2912)角川日本地名大辞典 47 沖縄県 P549、間切番所などとしては用いられなかったようです。
その後大正から昭和に掛けて、南山神社建立のため整備されたようで現在見られる切石の石積みはその時の物とされています。
その後神社に隣接して高嶺小学校が建設され、現在に至っています。

高嶺地区のグスク一覧

グスク名 地区 探訪年月日 概要
大城森グスク 大里 2005/9/16 詳細は個別ページにて。
南山グスク 大里 2006/2/26 詳細は個別ページにて。
屋古グスク13)ぐすく:グスク分布調査報告書―沖縄本島及び周辺離島:未確認のグスク一覧 大里? 大里村が1764年まで屋古村と呼ばれていた事は
上記の通りです。
「ぐすく」では屋古グスクの名前も挙げていますが、
詳細は不明です。
ただ伝承では具志頭グスクを攻め落とした、
南山軍の総大将が屋姑大主とあるようです14)琉球戦国時代の謎 P28
与座グスク 与座 2006/5/3 詳細は個別ページにて。
上座グスク 与座 2007/5/4 詳細は個別ページにて。
アカチチグスク 与座 2007/5/4 詳細は個別ページにて。
国吉グスク 国吉 2005/9/11 詳細は個別ページにて。
真栄里グスク 真栄里 2006/1/30 詳細は個別ページにて。
チングスク 真栄里 2006/1/30 詳細は個別ページにて。

真壁地区

概要

真壁地区は真壁グスクを中心としていたと思われる地域です。
間切名も古くは真加比間切と呼ばれていたようで、真栄平、東江(宇江城)、真壁、名嘉真の4村から成り15)角川日本地名大辞典 47 沖縄県 P641、この広いとは言えない領域が古琉球の頃に於ける真壁地区の領域だったと思われます。
後に領域が再編され、島尻大里間切から小波蔵、糸洲、名城、神里の4村、兼城間切から伊敷、新垣の2村がそれぞれ編入されて10村で現在と同じ様な領域になった所で真壁間切と改称されたようです。
その後名嘉真村は真壁村に併合され、神里村は安里村に改称したと見られているようです。
現在の真壁地区に於ける主なグスクとしては按司の伝承がある真壁グスクと名城グスクが挙げられます。
他に伊敷グスクは単郭ながら野面積みの城壁を備え、グスク麓には按司墓や西に唐船という地名が残り、交易を行える按司がいたと見られる形跡があるようです16)角川日本地名大辞典 47 沖縄県 P149
また糸洲グスクは按司の伝承はありませんが、野面積みの城壁と二つの郭を備えたグスクとなっています。
間切番所は真壁に置かれていたようですが、当初は集落の北側にあり後に南側に移されたとありグスクには置かれていなかったようです17)角川日本地名大辞典 47 沖縄県 P641
しかし寺山とも呼ばれるグスクには真壁按司の末裔とされる首里大親子が3個の霊石を祀った後、薩摩への貢米運搬の任より無事帰還したことから17世紀はじめに拝殿を建立し、真壁宮が起こったと云われています18)沖縄の拝所巡り300 P128
真壁宮はその後も按司の末裔である家が祭祀を継承し現在に至っているようです。

真壁地区のグスク一覧

グスク名 地区 探訪年月日 概要
フェンサグスク 名城 2006/1/27 詳細は個別ページにて。
チチャマグスク 名城 2006/1/27 詳細は個別ページにて。
伊敷グスク 伊敷 2006/5/5 詳細は個別ページにて。
糸洲グスク 糸洲 2006/5/5 詳細は個別ページにて。
安里グスク 糸洲 2006/4/30 詳細は個別ページにて。
真壁グスク 真壁 2005/9/11 詳細は個別ページにて。
宇江城グスク 宇江城 2005/9/16 詳細は個別ページにて。
新垣グスク 新垣 記録無し 新垣集落北、標高約100mの場所にあるグスクです。
グスク近辺は何度か訪れた事があるのですが、
何故か一枚の写真も撮っていませんでした。
真栄平グスク 真栄平 2006/3/11 詳細は個別ページにて。
ブリ原グスク 真栄平 2006/3/12 詳細は個別ページにて。
仲間グスク 小波蔵 2006/4/30 詳細は個別ページにて。

喜屋武地区

概要

喜屋武地区の領域は古琉球の頃からほとんど変化していないと思われます。
1649年に編集された「絵図郷村帳」には福地、山城、上里、束辺名、さけ(佐慶)、喜屋武の6村から成っていたようです19)角川日本地名大辞典 47 沖縄県 P302
その後もさけ村が山城に吸収され、上里と束辺名が合併して現在に至っているようです。
王府時代に於いては喜屋武村に間切番所が置かれていたようです。
しかし按司の伝承があるのが具志川グスクのみであるため、グスク時代から三山時代にかけてどういった勢力があったのか知る手がかりが限られていると言えます。
ただグスクの配置上、上里グスクを中心にした密集地があるため上里按司が居を置いていたと見られているようです20)沖縄のグスクめぐり21)沖縄の名城を歩く P32
考えられる状況としては当間グスク辺りを境として、具志川グスクの真金声按司と上里グスクの上里按司が並立していたのかも知れません。

喜屋武地区のグスク一覧

グスク名 地区 探訪年月日 概要
喜屋武古グスク 喜屋武 2007/5/4 詳細は個別ページにて。
具志川グスク 喜屋武 2005/9/16 詳細は個別ページにて。
カタハラグスク 喜屋武 2007/5/4 詳細は個別ページにて。
当間グスク 喜屋武 2005/12/24 詳細は個別ページにて。
束辺名グスク 束里 2005/9/16 詳細は個別ページにて。
上里グスク 束里 2005/9/11 詳細は個別ページにて。
山城グスク 山城 2005/12/24 詳細は個別ページにて。
山城下グスク22)角川日本地名大辞典 47 沖縄県:グスク分布図 山城 「分布図」の地図では
山城上グスクと下グスクは隣接しています。
山城グスクに上グスクと下グスクが
含まれているかも知れません。
佐慶グスク 山城 2005/12/20 詳細は個別ページにて。

摩文仁地区

概要

摩文仁間切は16世紀中頃の記録で石原、米須、小度、摩文仁の4村で成り立っていたようで23)角川日本地名大辞典 47 沖縄県 P653、領域自体は現在とそれほど変わっていないようです。伊礼、波平の2村は後の記録にある事から新設された物と思われます24)角川日本地名大辞典 47 沖縄県 P302
しかし波平グスクはグスク時代の遺物が確認されていておもろでも謳われている事から25)ぐすく:グスク分布調査報告書―沖縄本島及び周辺離島、集落自体は存在していたのかも知れません。
地域内で按司の伝承が知られているのは米須グスクのみですが、高摩文仁グスクに摩文仁按司がいたとする伝承もあるようです26)琉球王国の真実 第五章-十七。しかし高摩文仁グスクは聖域としてのグスクで城郭機能は無かったとする見方もあるようです27)角川日本地名大辞典 47 沖縄県 P652
ただ後の間切番所は米須村に置かれた事から、地域の中心は市の代表的グスクの一つでもある米須グスクでは無かったかと思われます。

摩文仁地区のグスク一覧

グスク名 地区 探訪年月日 概要
波平グスク 南波平 2006/1/23 詳細は個別ページにて。
石原グスク 伊原 2005/9/11 詳細は個別ページにて。
伊礼上グスク28)角川日本地名大辞典 47 沖縄県:グスク分布図 伊原? 「分布図」の地図には、伊礼上下グスクは
波平グスクと石原グスクの間に記載されています。
その他詳細は不明です。
伊礼下グスク29)角川日本地名大辞典 47 沖縄県:グスク分布図 伊原? 「分布図」の地図には、伊礼上下グスクは
波平グスクと石原グスクの間に記載されています。
その他詳細は不明です。
米須グスク 米須 2005/9/11 詳細は個別ページにて。
ガーラグスク 大度 大度集落東、
標高約45mの場所にあるとされています。
「遺跡地図」では住宅地さつきの城と
レストラン(跡)の間にある斜面を指しています。
しかし「ぐすく」ではさつきの城によって
破壊されたとされています。
さつきの城を車で回った事がありますが、
当然グスクの名残は感じられませんし、
東側斜面への進入も出来ていません。
その為詳細は不明です。
オドサトグスク 大度 2006/2/26 詳細は個別ページにて。
小度グスク30)ぐすく:グスク分布調査報告書―沖縄本島及び周辺離島:未確認のグスク一覧 大度? 大度は戦中まで小度と呼ばれていました。
「ぐすく」ではオドサトグスクと別に
小度グスクも記載していますが、
詳細は不明なようです。
高摩文仁グスク 摩文仁 2005/10/23 詳細は個別ページにて。
ハガー原グスク 摩文仁 2005/10/23 詳細は個別ページにて。

詳細不明

グスク名 地区 概要
クミグスク31)角川日本地名大辞典 47 沖縄県:グスク分布図
カナグスク32)角川日本地名大辞典 47 沖縄県:グスク分布図
名グスク33)ぐすく:グスク分布調査報告書―沖縄本島及び周辺離島:未確認のグスク一覧
里グスク34)角川日本地名大辞典 47 沖縄県:グスク分布図35)ぐすく:グスク分布調査報告書―沖縄本島及び周辺離島:未確認のグスク一覧
タケグスク36)ぐすく:グスク分布調査報告書―沖縄本島及び周辺離島:未確認のグスク一覧
内城森グスク37)ぐすく:グスク分布調査報告書―沖縄本島及び周辺離島:未確認のグスク一覧

脚注

   [ + ]

1. 角川日本地名大辞典 47 沖縄県 P267
2. 角川日本地名大辞典 47 沖縄県 P448
3. 角川日本地名大辞典 47 沖縄県 P480
4. 沖縄戦国時代の謎 P43
5, 6. 角川日本地名大辞典 47 沖縄県 P391
7. 角川日本地名大辞典 47 沖縄県 P443
8. 角川日本地名大辞典 47 沖縄県 P695
9. 「琉球王国の真実」では義留村
10. 琉球王国の真実 第六章-七
11. 沖縄の名城を歩く P29
12. 角川日本地名大辞典 47 沖縄県 P549
13, 30, 33, 35, 36, 37. ぐすく:グスク分布調査報告書―沖縄本島及び周辺離島:未確認のグスク一覧
14. 琉球戦国時代の謎 P28
15, 17. 角川日本地名大辞典 47 沖縄県 P641
16. 角川日本地名大辞典 47 沖縄県 P149
18. 沖縄の拝所巡り300 P128
19, 24. 角川日本地名大辞典 47 沖縄県 P302
20. 沖縄のグスクめぐり
21. 沖縄の名城を歩く P32
22, 28, 29, 31, 32, 34. 角川日本地名大辞典 47 沖縄県:グスク分布図
23. 角川日本地名大辞典 47 沖縄県 P653
25. ぐすく:グスク分布調査報告書―沖縄本島及び周辺離島
26. 琉球王国の真実 第五章-十七
27. 角川日本地名大辞典 47 沖縄県 P652

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