内嶺グスク

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内嶺グスク

データ

グスク名 内嶺グスク
読み うちみねぐすく、うちんみぐすく
別名 ウチミグスク
所在地 南風原町兼城
現況 兼城公園
築造年代 不詳
築造者 内嶺按司?
主な城主 内嶺按司?、兼城按司?
種別 居城
構造物 拝所、拝井、城跡碑

記録

初回探訪年月日 2007/1/20
最終探訪年月日
満足度(A-G) E グスクは面影も留めていませんが、公園として整備されています。
過去の記述
所在地 南風原町兼城
分類 居城
築造年代 不詳
築造者 内嶺按司
主な城主 内嶺按司・兼城按司
南風原町兼城の丘陵上のグスク。
グスクは宅地開発で破壊され、遺構などは残っていません。
内嶺按司は鍛治を行い、農業を推奨したと言われています。
養子として内嶺按司の跡を継いだ兼城按司は北山・攀安知王の五男虎寿金と言われ、北山滅亡後に内嶺按司に引き取られたのだそうです。

概要

内嶺グスクは兼城集落北の丘陵頂部、標高約43mの場所にあるグスクです。
グスクは土取や宅地開発で破壊されたようで、現在は兼城公園となっていますがグスクとしての面影は残っていません。
グスクのある周辺は耐水性の強いジャーガルの土壌であるため、鉄器の加工技術が行われるようになったグスク時代になってから水田を営めるようになったと見られています。また丘陵上には複数の遺跡が点在し、グスクを中心とした共同体(集落)が営まれていたと見られています1)ぐすく-グスク分布調査報告 (Ⅰ)-沖縄本島及び周辺離島2)沖縄のグスクめぐり

歴史、伝承

このグスクは内嶺按司によって築かれたと云われています3)「琉球王国の真実」P85によれば尚巴志王の頃としています。
内嶺按司は鍛冶を行っており、尚巴志王から鉄屑を頂いては農具に作り変えて一族に分け与えていたと云われています4)沖縄戦国時代の謎 P11
内嶺按司には子が無く、捕虜として捕らえていた虎寿金を養子にしたと云われています。
虎寿金が養子になったのは尚円王の引き立てによるものとも云われているようです5)琉球王国の真実 P85
虎寿金は北山王攀安知の五男と云われ6)「琉球王国の真実」P85によれば今帰仁グスク落城後に生まれたとも云われているようです。、北山滅亡時に攀安知王の側女が赤子であった虎寿金を抱えて島尻へ落ち延びていたのを捕らえたと云われています7)沖縄戦国時代の謎 P11
内嶺按司没後、虎寿金が兼城按司として跡を継ぎ、農業督励などで功績を上げたと云われています。
兼城按司には娘がいて、一人は尚円王に嫁ぎ男子を儲け、その男子が内嶺按司として兼城按司の跡を継いだと云われているようです8)琉球王国の真実 P85

探訪記

グスク遠景 グスク北東からの遠景。
周囲と比べても一段高い位置にあります。
城跡碑 グスク内にある城跡碑。
現在のグスク内は整備されていて散策はしやすいです。
内嶺グスクの拝所 グスク内の拝所。
グスクにあった拝所が合祀されています。
火の神の祠 祠が建っている火の神。
井戸跡 グスク内の井戸跡。

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脚注

   [ + ]

1. ぐすく-グスク分布調査報告 (Ⅰ)-沖縄本島及び周辺離島
2. 沖縄のグスクめぐり
3. 「琉球王国の真実」P85によれば尚巴志王の頃としています。
4, 7. 沖縄戦国時代の謎 P11
5, 8. 琉球王国の真実 P85
6. 「琉球王国の真実」P85によれば今帰仁グスク落城後に生まれたとも云われているようです。

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