渡具知泊グスク

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渡具知泊グスク

データ

グスク名渡具知泊グスク
読みとまりぐすく、とぅまいぐすく
別名泊グスク、渡具知グスク、カクリグスク、クマイグスク
所在地読谷村渡具知
現況泊城公園
築造年代不詳
築造者不詳
主な城主丘春
種別居城?
構造物拝所、古墓、説明板

記録

初回探訪年月日2005/10/14
最終探訪年月日
満足度(A-G)Dグスクがあったとされる岩山には遺構などは確認出来ません。
過去の記述
所在地読谷村渡具知
分類居城
築造年代不詳
築造者不詳
主な城主不詳

渡具知の海に面した崖の上にあるグスク。現在は公園になっていてグスクの面影はありません。「北山騒動」で今帰仁より逃れた嫡子の丘春がこの地で過ごし、復興の機会をうかがったといわれています。

概要

(渡具知)泊グスクは渡具知集落西、比謝川河口北岸の丘陵上で標高約22mの場所にあるグスクです。
別名が渡具知グスクである事とうるま市宮城島にある泊グスクとの区別するためか渡具知泊グスクとも呼ばれています。
今帰仁按司の嫡子が落ち延びたという伝承からかカクリ(隠れ)グスク、クマイ(籠もり)グスクなどとも呼ばれています[1]沖縄のグスクめぐり

歴史、伝承

このグスクの詳細な歴史は分かっていないようです。

今帰仁騒動に関する伝承

13世紀頃、今帰仁グスクで起こったと云われている所謂今帰仁騒動で、今帰仁按司は家臣の本部大主に滅ぼされたと云われています。
その際、按司の嫡子だった丘春は家臣の潮平大主らに連れられて落ち延びたのがこのグスクと云われています。
丘春はこのグスクで18年間雌伏を続けていましたが、大宜味で家臣たちが旗揚げしたのに合流し、今帰仁グスクを奪還したと云われています。
しかし丘春たちが奪還に動いたのは本部大主没後、後継者争いが起こったためとも云われているようです[2]琉球王国の真実 P43

感想

グスクは現在泊城公園として整備されていて、グスクがあったとされる丘陵上も眺めは良いですが面影は感じられません。
しかしグスク下は丘春の墓や説明板があり、それらしい雰囲気はあります。

ギャラリー

公園として整備されたグスクグスク近辺は綺麗に整備されています。
グスク遠景グスク遠景。
あの岩の上にグスクがあったそうです。
グスクがあったという巨岩くり抜かれた巨岩。
岩の上にはグスクの面影はありません岩の上。もちろんグスクを思わせる面影はありません。

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脚注

脚注

1沖縄のグスクめぐり
2琉球王国の真実 P43

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