北谷町

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北谷町のグスクです。
適宜更新していきます。

北谷町のグスク

概要

北谷地域はグスク時代から三山時代には中山に属していた地域で、当時は現在と北谷町域に加えて、嘉手納町域[1]角川日本地名大辞典 47 沖縄県 P988や宜野湾市、沖縄市の一部[2]角川日本地名大辞典 47 沖縄県 P465も領域としていたのだそうです。
現在の嘉手納町に当たる地域は今帰仁按司系の屋良大川按司が治める屋良グスクが中心であったと思われますが、現在の北谷町に相当する地域は北谷グスクが中心であったと思われます。しかし北谷グスクはグスクの興亡に関する伝承はあるものの、いずれも伝承の域を出るものではないと思われます。しかし、グスクの規模や出城である池グスクがあることから、相応の勢力を持った按司が居を置いていたと思われます。
また北谷グスクは1609年の島津氏侵攻に際して、迎撃の軍勢が置かれたと云い伝えられています。

北谷町のグスク一覧

グスク名地区探訪年月日概要
北谷グスク大村2015/9/20詳細は個別ページにて。
池グスク吉原、美浜かつて北谷グスク北、白比川に沿って対岸を東西に伸びる標高約17mの丘陵があったそうです。
グスクはその丘陵上にあったと言われ、丘陵は現在の国道58号線を跨いでいて、戦前は北谷トンネルが掘られていたのだそうです。
トンネルは戦時中に日本軍によって破壊され、残った丘陵も宅地開発によって消滅したようです。
(参考: 北谷町の遺跡 : 詳細分布調査報告書)
謝苅交差点の辺りにかつて北谷トンネルがあり、その東西にグスクがあったと思われます。
ウフグスク[3]ぐすく:グスク分布調査報告書―沖縄本島及び周辺離島:未確認のグスク一覧不詳詳細不明。

参考

ぐすく:グスク分布調査報告書―沖縄本島及び周辺離島
沖縄県埋蔵文化財センターGIS遺跡地図(現沖縄県地図システム)
北谷町の遺跡 : 詳細分布調査報告書

脚注

脚注

1角川日本地名大辞典 47 沖縄県 P988
2角川日本地名大辞典 47 沖縄県 P465
3ぐすく:グスク分布調査報告書―沖縄本島及び周辺離島:未確認のグスク一覧

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