中城グスク

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中城グスク

データ

グスク名中城グスク、中グスク
読みなかぐすくぐすく、なかぐすく
別名
所在地中城村泊
現況中城城跡公園
築造年代14世紀頃
築造者中城按司?
主な城主中城按司、護佐丸
種別居城
遺構など城壁、城門、拝所、郭、井戸、石積
その他構造物石碑、説明板

記録

初回探訪年月日2007/5/3
最終探訪年月日
満足度(A-G)A遺構は往時の姿を留めているそうで、
代表的なグスクの一つと言えます。
探索しやすさ(A-E)A観光地として整備されています。
過去の記述
所在地中城村泊
分類居城
築造年代13世紀頃
築造者中城按司
主な城主中城按司・護佐丸

代表的なグスクの一つ。
伝承によれば英祖王の子である中城按司が始めて築いたと言われています。
主郭、二の郭、西の郭、南の郭が中城按司の手によるものです。
第一尚氏の統一後、中城按司は糸満の真栄里グスクへ配され、代わって読谷山按司として座喜味グスクに居していた護佐丸が配されます。1440年頃と言われています。
中城按司となった護佐丸は二の郭、西の郭を拡張し、北の郭と三の郭を増築したと見られています。
1458年、護佐丸・阿麻和利の乱の際に王府軍に攻められ護佐丸は自害したと伝えられています。

概要

中城グスクは泊集落北の台地上で中城村と北中城村の境界線付近、標高約160mの場所に築かれたグスクです。
グスクは六つの郭からなりますが、郭により石積み手法が異なり、築造年代の違いが異なると見られています。
また国指定史跡で世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つで、護佐丸・阿麻和利の舞台として知られています。

歴史、伝承

築造~中城按司

このグスクが築かれ始めたのは14世紀頃と見られています[1]沖縄の名城を歩く P93
伝承では最初にグスクを築いたのは、英祖王の子である中城王子[2]沖縄のグスクめぐり(中城按司)とも初代伊覇按司の十男[3]沖縄のグスクめぐり P190[4]琉球王国の真実 P123である中城按司[5]沖縄戦国時代の謎 P93とも云われています。
英祖王統系の按司から伊覇按司系の按司に引き継がれたと考えることも出来、実際そういった伝承もあるようです[6]琉球王国の真実 P137
中城按司の頃に築かれたグスクは現在の主郭、二の郭、南郭であるとする見方[7]沖縄のグスクめぐりがありますが、西郭も中城按司による物と見られています[8]沖縄の名城を歩く P94
中城按司の頃に関して、グスクの興亡に関する伝承は確認されていません。

護佐丸~護佐丸阿麻和利の乱

1440年頃、読谷山按司護佐丸が中城へ移され中城按司になった事にともない、元の中城按司は真栄里へ移されます。
従って護佐丸も中城按司であるため、護佐丸以前の中城按司は先中城按司とも呼ばれています。
護佐丸が中城へ移されたのは勝連按司への抑えのためとも云われて、グスクを増築し現在の形にしたと云われています。
1458年、勝連按司阿麻和利が謀略を以って、尚泰久王の首里王府を味方に付けて攻め込んできます。護佐丸と家族は敵襲を受け、敵軍に王府の旗があることを知り自刃した[9]沖縄のグスクめぐりとも、抗戦するも敵わず自害した[10]沖縄戦国時代の謎 P96とも云われています。また幼子であった三男の盛親は乳母に抱えられて脱出し難を逃れたのだそうです。

第二尚氏時代以後

護佐丸滅亡から10年ほどで第一尚氏も滅亡します。
第二尚氏に入ると、王世子は中城王子を名乗り中城を領地としたとされていますが、実際に用いられた記録なども残っていない事もあり、[11]沖縄の名城を歩く P93王子の代理者がグスクに入ったと見る向きもあるようです[12]ぐすく-グスク分布調査報告 (Ⅰ)-沖縄本島及び周辺離島
1729年、主郭に間切番所が置かれます。王国末期の1853年には来航したペリー提督の一行が調査を行い絵図にもなっています。
琉球処分後の1908年、間切番所は間切役所となり、1945年の沖縄戦で建物が焼失するまで用いられていたそうです。

ギャラリー

正門への道。北側の城壁。
受付より正門へ向かう道。わき道に入ったところに見える城壁。
ミートゥガーへの道。ミートゥガー(夫婦井)。
正門へ向かう道から
ミートゥガー(夫婦井)へ向かいます。
ミートゥガー。
正門付近の広場からグスクを見ます。正門。
正門付近からグスクを見たもの。グスク正門。
上には櫓が載っていたとようです。
内側は西の郭です。
正門右手の城壁。南の郭への道。
正門右手側に見える城壁。
南の郭のものです。
正門内側から南の郭を見ます。
西の郭。二の郭。
西の郭。
兵馬の訓練をしていた場所と言われ
かなりの広さです。
郭内は現在舗装路が走っていて
二の郭方面へ向かっています。
一時的な物でしょうか。
二の郭。
城壁は布積みで築かれています。
二の郭から見る三の郭。二の郭から見る主郭の門。
二の郭から三の郭を見下ろします。二の郭北東側から主郭方面を見ます。
主郭東側アーチ門主郭。
主郭東側のアーチ門。主郭。
向かい側は南の郭です。
正殿跡。観月台。
主郭の一段高い場所は正殿跡です。
正殿は沖縄戦で消失しましたが、
戦前は村役場として使用されていたそうです。
主郭南側の観月台。
観月台より二の郭方面。拝所。
観月台より二の郭方面を見ます。主郭の一角にある拝所。
南の郭。久高島遥拝所
南の郭。
遥拝所があり聖域の雰囲気が強い場所です。
久高島遥拝所。
首里遥拝所西の郭東端部へ
首里遥拝所。西の郭東端部へ向かいます。
西の郭東端部西の郭から北の郭へ
西の郭西端部の城壁。
この辺りは木陰が多いです。
西の郭から北の郭へ向かいます。
北の郭城壁。ウフガー
北の郭城壁。北の郭内にあるウフガー。
もともとグスク外にあったものですが
護佐丸がこの郭を増築した際に取り込まれました。
北の郭。三の郭入り口
グスク裏門側から見た北の郭。
この郭と隣接する三の郭は
護佐丸によって増築されたものです。
三の郭入り口。
三の郭。三の郭から見る二の郭
三の郭。
入り口が一つしかないのはこの郭だけです。
三の郭から二の郭を見ます。
物見台。グスク裏門
北の郭にある物見台。
あいかた積みという技法で築かれています。
北の郭内から見たグスク裏門。
グスク東側からの全景。伊寿留按司の墓
グスク東側から見ます。グスク東方にある伊寿留按司の墓。
伊寿留按司は護佐丸の兄と言われています。

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脚注

脚注

1, 11沖縄の名城を歩く P93
2, 7, 9沖縄のグスクめぐり
3沖縄のグスクめぐり P190
4琉球王国の真実 P123
5沖縄戦国時代の謎 P93
6琉球王国の真実 P137
8沖縄の名城を歩く P94
10沖縄戦国時代の謎 P96
12ぐすく-グスク分布調査報告 (Ⅰ)-沖縄本島及び周辺離島

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