ナチジングスク
データ
グスク名 | ナチジングスク |
読み | なちじんぐすく |
別名 | ヤブチグスク |
所在地 | うるま市与那城屋慶名 |
現況 | – |
築造年代 | 不詳 |
築造者 | 不詳 |
主な城主 | 不詳 |
種別 | 不詳 |
構造物 | 拝所 |
記録
初回探訪年月日 | 2005/12/15 | |
最終探訪年月日 | 2009/4/1 | |
満足度(A-G) | D | グスクとされる場所は拝所のみで、聖域としてのグスクのようです。 |
過去の記述
所在地 | うるま市与那城屋慶名 |
分類 | 聖域? |
築造年代 | 不詳 |
築造者 | 不詳 |
主な城主 | 不詳 |
与勝半島に隣接した無人島、藪地島にあるグスク。
島の北西にある丘の頂上部に拝所があり、聖域としてのグスクではなかったかと思います。
その東で石積みらしきものが見受けられました。
グスクとの関連は不明ですが、藪地島はかつて有人島で集落もあったようなので
民家等の跡ではないかと推測します。
島の北西にある丘の頂上部に拝所があり、聖域としてのグスクではなかったかと思います。
その東で石積みらしきものが見受けられました。
グスクとの関連は不明ですが、藪地島はかつて有人島で集落もあったようなので
民家等の跡ではないかと推測します。
概要
ナチジングスクは屋慶名にある無人島、藪地島北西の最高所である標高約42mの場所にあるとされるグスクです。
歴史、伝承
グスクの詳細な歴史は分かっていません。
「ナチジン」という名称を「今帰仁」と捉えて今帰仁グスクと関連付ける研究者がいるが確証は何一つ無いとのだそうです[1]ぐすく-グスク分布調査報告 (Ⅰ)-沖縄本島及び周辺離島。
別の資料では「ぐすく」から引用しつつも、地元の郷土史家による説として実際は島の東側にあったのでは無いかという可能性を示唆していますが、藪が深く探索は困難との事です[2]与那城村の遺跡。
伝承としては怕尼芝に滅ぼされた今帰仁按司の八男である今帰仁子が一時的に隠れたとする物があるようです[3]琉球王国の真実 第三章-十五。しかしこのグスク頂部は非常に狭く人が居座るには適さないため、仮に隠れるにしても麓か上記した島の東側では無かったかと思われます。
感想
島の最高所という非常に目立つ場所にありますが、到達は容易ではありませんでした。
初探訪時は道を見つけられず麓をウロウロするばかりで、それでも何らかの遺構は確認したのですがグスクとの関連は不明です。
二度目は道を見つけてグスクまで到達しました。
しかし道はやや危険性があると判断したため、詳細は掲載していません。
グスクは島の最高所だけあって非常に眺望が効き、周辺の島を見ることが出来ます。
しかしスペースは狭く拝所と三角点があるのみだったので聖域としてのグスクであっただろうと思われます。
ギャラリー
2005/12/15
島の西にある藪地橋から島を見たもの。 左側の丘にグスクがあるそうですが・・・ | 丘の東の道沿いに見た石積み、 蔦が絡んで分かりにくいです。 |
広範に広がる蔦。 仮にこの下にあるのが遺構だとしても 分かりにくいです。 | 墓か何かに見えたのですが・・・ この状態では確認する術はありません。 |
2009/4/1
再訪時に藪地大橋付近からみたグスク遠景。 丘の頂上部がグスクだったものと思われます。 | 藪地大橋付近からグスク付近へ向かう道 斜面を登っていきます。 |
途中、傾斜がきつくなってきます。 ロープが張られていますので それを掴みつつ登って行きます。 | 斜面を登っていくと岩による段差があります。 これを乗り越えるとほぼ平坦になります。 |
頂上へ向かう道。 初めは東へ伸びていますが、 徐々に北へ曲がっています。 | 頂上付近。 頂上部は北へ向かって開けています |
丘の頂上部。 頂上部には拝所と三角点があります。 この拝所近辺がグスクではないかと思われます。 | 藪地大橋の下にある「屋慶名龍神」。 |