チチンタグスク

チチンタグスク

データ

グスク名 チチンタグスク
読み ちちんたぐすく
別名 津喜武多グスク
所在地 西原町小波津
現況 小波津団地など
築造年代 不詳
築造者 津喜武多按司?
主な城主 津喜武多按司?
種別 居城?
構造物 拝所、古墓、標柱

記録

初回探訪年月日 2006/3/25
最終探訪年月日
満足度(A-G) D 遺構は小波津団地造成に際して湮滅したとする向きもあります。
過去の記述
所在地 西原町小波津
分類 居城
築造年代 不詳
築造者 津喜武多按司
主な城主 津喜武多按司

別名津喜武多グスク(チキンタグスク)。
小波津団地西側にある丘の上にグスクはあります。
普通の丘に見えるグスクで遺構の類は無いようです。
このグスクを築いた津喜武多按司は按司夫人に邪な思いを抱いた
幸地按司に滅ぼされたそうです。

概要

チチンタグスクは小波津集落西、小波津団地西側に隣接した丘陵上、標高約60mほどの場所にあるグスクです。
現在独立丘陵に見えるグスクですが、北東側小波津団地のある場所に尾根続きの丘陵があり、そこもグスクであったと見られています。

歴史、伝承

このグスクは津喜武多按司によって築かれたと云われています。
津喜武多按司は津喜武多御嶽を守護神として崇拝し、その下方の台地にグスクを築いて津喜武多按司を名乗ったと云われています1)沖縄のグスクめぐり
津喜武多按司の出自についてはいくつか伝承があるようで、怕尼芝に滅ぼされた今帰仁按司の四男2)沖縄のグスクめぐり3)琉球王国の真実 P63というものから、今帰仁按司の子でなく婿で4)琉球王国の真実 P63という物。他には津堅島から来た喜舎場子の子5)琉球王国の真実 P63といった伝承があります。
またグスクを築いたのは初代伊覇按司の次男6)沖縄のグスクめぐりといった伝承もあるようです。
津喜武多按司の夫人は美女であったため、近隣の幸地按司に滅ぼされたと云われています。
またグスクの石垣は首里城を普請する際に運ばれたと云われてるようです7)ぐすく-グスク分布調査報告 (Ⅰ)-沖縄本島及び周辺離島

按司夫人と幸地按司の伝承

津喜武多按司の夫人は美女であったと云われています。
この夫人に横恋慕した幸地按司は夫人が井戸で髪を洗っている所に遭遇したため、泥を投げて悪戯したのだそうです。
その報告を受けた津喜武多按司は激怒しますが、幸地按司は武勇に優れているためうかつに手を出せません。
一方津喜武多按司の怒りを知った幸地按司は先手を打つためグスクに腹心を連れてグスクを訪れます。
幸地按司の訪問を受けた津喜武多按司は仕方なく宴を催して歓待し、その宴の最中、幸地按司は津喜武多按司に宝剣を見せるよう要求します。
津喜武多按司は渋々宝剣を見せますが、剣を手に取った幸地按司は鞘から剣を抜くやいなや津喜武多按司を斬殺したと云われています。
幸地按司は残された按司夫人を物にしようと色々手を打つも、幸地按司を憎み井戸へ投身自殺したと云われています8)沖縄のグスクめぐり

感想

このページでは現地標柱の表記で「チチンタグスク」としていますが、「津喜武多グスク」や「チキンタグスク」と記されている事が多い印象です。
グスク入り口から山道を登りましたが、拝所や古墓はありましたがまとまった平場といえるスペースは見受けられませんでした。
古墓付近は切り立った崖になっている事から、残っているのは城門に当たる部分なのかも知れません。

探訪記

グスク入り口。 グスク入り口。
団地に面した東側から進入します。
雑草に埋もれかけた道 丘の上西側へ道が伸びています。
道は雑草に埋もれかけた部分もあります。
荒れ果てた拝所 荒れ果てた拝所。
丘の上の墓 丘の上、北側にある墓
グスクとの関連は不明です。
危険です 墓の脇から伸びている道(?)。
この奥には特に何もありませんでした。

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脚注

   [ + ]

1, 2, 6, 8. 沖縄のグスクめぐり
3, 4, 5. 琉球王国の真実 P63
7. ぐすく-グスク分布調査報告 (Ⅰ)-沖縄本島及び周辺離島

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