束辺名グスク

束辺名グスク

データ

グスク名 束辺名グスク
読み つかへなぐすく
別名 ミーガーグスク
所在地 糸満市束里
現況 原野
築造年代 不詳
築造者 不詳
主な城主 束辺名按司?
種別 居城?
構造物 標柱

記録

初回探訪年月日 2005/9/16
最終探訪年月日 2015/9/18
満足度(A-G) F 藪のため、遺構がどの程度残っているか不明です。
過去の記述
所在地 糸満市束里
分類 居城?
築造年代 不詳
築造者 不詳
主な城主 不詳

上里グスクを取り囲むグスクのひとつ。
「糸満市の遺跡」の記述を信用すれば上記所在地になりますが
(束辺名から上里へ抜ける道路の右側・・・)
沖縄埋包文化財センターのGIS遺跡地図ではこの場所を示します。
標柱は前者の地点にあり、後者には「束辺名古島遺跡」の標柱があります。
その他資料には「沖縄県立博物館紀要第24号」の「沖縄南部旧喜屋武間切りのグスク群について(一)(當眞嗣一氏)」には「束辺名集落は、グスクの北側」
「角川日本地名大辞典」には「南の丘陵上には束辺名城跡」などとあることから、「所在地」で示した場所で間違いないと思われます。
また以前は畑地だったグスク周辺は、現在採石場(?)となっているようでグスクが跡形なく消失しないか心配される所です。
グスク付近で採石が行われていた模様ですが、グスク周辺は破損は免れたようです。
しかしグスク周辺は藪が酷く、遺構は確認出来ていません。

概要

束辺名グスクは束里集落束辺名区の南にある標高60mの丘陵上にあるグスクです。
グスク自体は破壊を受けているものの、石垣が一部残存しているとされていますが、藪が激しくそれを確認するのは困難です。
グスク周辺は以前は畑地でしたが、一時採石場となっていました。
その後は原野となり藪に埋もれつつあるようです。

位置について

グスクのある場所には(まだ残っていれば)「束辺名古島遺跡」の標柱があり、遺跡地図では「束辺名古島遺跡」とされている、束辺名の東側にグスクの標柱があります。
その他各種資料などから束辺名の南がグスクとして間違いないようです。

歴史、伝承

詳細は歴史は分かっていませんが、「ぐすく」には束辺名按司の居城であったという伝承が記されています。
「琉球王国の真実」には束辺名按司は上里按司の娘婿で上里按司とともに朝鮮へ亡命したと記載されています。

探訪記

2005/9/16

グスク標柱 グスクの標柱。
「所在地」の地点にありますが・・・
標柱脇の農道 標柱のその脇の農道。
散策したのはこの付近のみです。
畑と藪しか見つかりませんでした。
農作業用具があったりします・・・ 畑の付近ということで農作業品が置かれていたりします。
標柱付近の藪の中 藪を覗き込んだ所。
進入するのは少し厳しいですす。

2012/1/5

グスクへ向かう道 以前は畑道だったグスク方面への道。
現在は社有地らしく進入を断念しました。
標柱 道の脇には朽ちかけた標柱が残ってます。
標柱 以前と比べて所々文字が消えかかっています。
集落から見たグスク 南側の束辺名集落から見たグスク遠景。
グスクに向かって帯状の草藪がありますが、
これは古道の跡のようです。
當眞氏は「沖縄県立博物館紀要第24号」にて、
このグスクは古道を封鎖、防衛する
関所的な役割を持ったグスクでは無いかとの見方を示しています。

2015/9/18

グスクへ向かう道 グスクへ向かう道。
採石を終えたのか、グスクへ進入出来るようになっていました。
しかし標柱に朽ちて無くなった模様です。
採石場跡 グスクの西には採石された跡がありますが、
グスク自体までは到達していない模様です。
郭跡 道を進んで突き当たった場所にある
高台の辺りが郭跡のようです。
周りに石積み遺構があるようですが、
藪が酷く確認出来ませんでした。
グスク西側の高台 グスクの北西には岩山があります。
往時は櫓台か出城の様に用いられたと見られているようです。

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