大城森グスク

大城森グスク

データ

グスク名 大城森グスク
読み うふぐすくむいぐすく
別名 二又(タマター)グスク、ウンチュウグスク
所在地 糸満市大里
現況
築造年代 不詳
築造者 不詳
主な城主 大城森按司?
種別 居城?
構造物 拝所、拝井、郭、石積

記録

初回探訪年月日 2005/9/16
最終探訪年月日 2006/3/11
満足度(A-G) C 石積遺構は多くありませんが、郭らしき平場などは見受けられます。
過去の記述
所在地 糸満市大里
分類 不詳
築造年代 不詳
築造者 不詳
主な城主 不詳
大里集落の北方、リサイクル工場のある背後の丘にあるグスク。山道を登ってグスク頂上のグスク最奥部に着くと、大岩を石積みで取り込んだような物見台があります。グスクに関する伝承は不明ですが、南山グスクの出城だったと言われています。

概要

大城森グスクは大里集落北にある丘陵上、標高約65mの場所に築かれたグスクです。
東西二つの峰からなるため二又グスクとも呼ばれていますが、
「ぐすく」によれば東側のオトー山(父山)と呼ばれ、西側をオカー山(母山)と呼ばれているとの事です。
またオトー山は古墓からなり、オカー山はグスクの石積み遺構なども残されていると記載されています。

歴史、伝承

詳細な歴史は分かっていませんが、南山グスクの出城であったと云われています。
また、城主に関する複数の伝承があるようです。

上与座世之主

アカチチグスクのページにも記載していますが、「琉球王国の真実」によると
英祖王統三代目英慈王の頃、上与座世之主と呼ばれる按司がおり英慈王の長子である八重瀬按司と対立していたそうです。
上与座世之主は八重瀬按司と援軍でやってきた勝連按司の軍を破ったと云われているようです。
しかし後に多田名按司に滅ぼされたのだそうです。同書では落城は1322年の事としています。
ただ、多田名大主が八重瀬町与座にある上グスクの上原按司を滅ぼしたという伝承があり、そちらと混同されているようにも感じられます。

大城森按司

「沖縄戦国時代の謎」に記されている伝承として、
第一尚氏5代目の尚金福王の娘婿である瀬長按司の夫人は美女であったそうです。
当時の城主であった大城森按司は瀬長按司を酒に酔わせて、その隙に夫人に手を出すこと数回あったため、瀬長按司は尚金福王に訴えます。
瀬長按司の訴えを受けた尚金福王は大城森按司を首里城に招待し、その途上の長虹堤に伏兵を置いて斬らせたのだそうです。
「琉球王国の真実」ではこの大城森按司は他魯毎王の長子で、山南滅亡後山南王家の祭祀を継いでいたと記載されています。
また米須グスクの米須若按司を亡き者にした我瀬之子はその長子としています。

探訪記

グスク入り口 グスク入り口。ここから登っていきます。
頂上へ向かう石段 グスク頂部へ向かう石段。石積みも見えます。
拝井泉跡 石段を登ったところにあるカーの跡。
物見台へ向かう道 物見台へ向かう道。
石積みと岩で出来た物見台 物見台。巨岩を石積みで取り込んだ形になっています。見晴らしもいいです。
物見台の拝所 物見台にある拝所。

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