越来グスク

越来グスク

データ

グスク名 越来グスク
読み ごえくぐすく、ぎーくぐすく
別名
所在地 沖縄市城前町
現況 城前児童公園など
築造年代 不詳
築造者 不詳
主な城主 尚泰久・尚徳・大城賢雄・尚宣威
種別 居城
構造物 拝所、説明板、標柱

記録

初回探訪年月日 2006/2/2
最終探訪年月日 2015/9/20
満足度(A-G) E 戦災や戦後の採石により完全に消失した模様です。
過去の記述
所在地 沖縄市城前町
分類 不詳
築造年代 11世紀?
築造者 不詳
主な城主 尚泰久・尚徳・大城賢雄・尚宣威

中頭の中央に位置する要所とされていたグスク。
そのため、第一尚氏成立後は王族や鬼大城(大城賢雄)のような有力者が城主となりました。
しかし沖縄戦の戦災や戦後米軍に破壊され形跡は微塵もありません。
現在は「城前児童公園」となってます。

概要

越来グスクは越来の南、城前町の標高約83の丘陵にあったグスクです。
現在は完全に消失しており、城前児童公園となっております。

歴史、感想など

築造から三山時代

このグスクの築造年代などは分かっていません。
伝承では察度王が息子を越来王子として城主にして築かせたと云われているようです。1)「沖縄戦国時代の謎」では次男か三男、「琉球王国の真実」では四男
また最初の城主は英祖王統三代目英慈王の五男で、その子が跡を継いだとする伝承もあるようです。2)「琉球王国の真実」P145
1405年、察度王統が滅亡した際に、越来王子は落ち延びたと思われます。

第一尚氏時代

1435年、尚巴志の七男(後の尚泰久王)が越来王子として配されます。
1441年、越来王子は金丸(後の尚円王)を登用して家臣としています。
1454年に中山王に即位するまで、越来王子はこのグスクに居を置いている間に読谷山按司護佐丸の娘を夫人に迎えて三男一女を儲けたのだそうです。
尚泰久王即位後は伊覇按司の分家が越来按司として入ったと云われています。3)沖縄戦国時代の謎 P106
1458年に勃発した護佐丸阿麻和利の乱で功績があった大城賢雄が越来間切総地頭に任じられて城主となります。その前の按司(伊覇按司系?)の按司は阿麻和利討伐を拒否したため按司の座を追われたとも云われているようです。4)同上
1469年、第一尚氏が滅ぼされると、賢雄は第二尚氏に従わない姿勢だったため討伐を受けて敗れ、知花グスクで討たれます。

第二尚氏時代

同69年、尚円王の弟が越来王子として配されます。
1477年、越来王子は尚宣威王として即位しますが、半年で退位に追い込まれ、越来に戻って隠棲するも同年に没し、長子の尚儲が越来王子を継ぎます。
尚儲は1534年に没するまで越来王子の位にあったようですが、尚真王の中央集権政策により首里に移ったと思われます。

感想など

大正期の地図を見ると、現在城前自治会事務所が立っている辺りがかつての最高所のようです。
その最高所から北は越来小学校、西は越来保育園のあたりまでなだらかに広がっていたように見受けられます。
「ぐすく」によればかつては切石積みや野面積みの城壁が廻らされていたようですが、どのような構造だったのかまでは記録は無いようです。
伝承も含めると英祖から第二尚氏まで四王統で越来王子が置かれていたようです。
それだけ要所と見られていたと思われますが、その様子を微塵も感じられない有様なのが残念な所です。
しかし近年は説明板などの設置物が増えつつあるように感じられます。

探訪記

2006/2/2

唯一グスクの面影を残す拝所 児童公園内にある鳥居と拝所。
これらと案内板がなければただの公園です。
グスク跡の公園 公園内。
このグスクはかつて高台だったそうですが、
現在は破壊されそれすらも分りません。

2015/9/20

再訪した際の越来グスク拝所。
越来グスク説明板。
城前児童公園内の年表。

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脚注

   [ + ]

1. 「沖縄戦国時代の謎」では次男か三男、「琉球王国の真実」では四男
2. 「琉球王国の真実」P145
3. 沖縄戦国時代の謎 P106
4. 同上

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