屋良グスク

屋良グスク

データ

グスク名 屋良グスク
読み やらぐすく
別名
所在地 嘉手納町屋良
現況 屋良城跡公園
築造年代 13世紀-14世紀頃
築造者 屋良大川按司?
主な城主 屋良大川按司?
種別 居城
構造物 拝所、郭、按司墓、標柱

記録

初回探訪年月日 2006/1/9
最終探訪年月日
満足度(A-G) D グスクの遺構は少ない印象です。
過去の記述
所在地 嘉手納町屋良
分類 居城
築造年代 不詳
築造者 屋良大川按司
主な城主 屋良大川按司

屋良大川按司によって築かれたグスク。
かつては比謝川付近を押さえる要所だったそうです。戦後米軍施設が置かれ破壊を受けたそうですが、かろうじて地形は残っています。現在は城跡公園として整備されています。

概要

屋良グスクは屋良集落北、比謝川河口から3kmほど上った中流域南岸の東西に延びる丘陵上に築かれたグスクです。
グスクが築かれた地点は、北は比謝川川岸に接して比高6m、東西は窪地となり独立丘陵のような様相を呈しています。
現在は屋良城跡公園として整備されていますが、以前は主郭に米軍の燃料タンクが設置されていた事もあり、遺構は破壊を受けています。
石積み遺構は確認されていませんが、根石も確認されておらず元々石積みは用いられていなかったとも見られているようです1)沖縄のグスクめぐり

歴史、伝承

このグスクの詳細な歴史は分かっていないようです。
伝承によれば、安慶名大川按司の次男である屋良大川按司によって築かれたと云われています。

御先大川と後大川

安慶名按司系の屋良大川按司以前に5代の按司がいたとする伝承もあるようです2)沖縄のグスクめぐり
今帰仁グスクの中北山三代目今帰仁按司と絶世の美女と云われた大湾乙樽との間に生まれたのが最初の屋良大川按司と云われているのだそうです。
この系統の按司は5代続いたそうですが、5代目の按司は長男が沃折し跡継ぎがいなかったため、長女である真鶴金に安慶名大川按司の次男を婿養子として迎えたと云われているようです。
この伝承では今帰仁按司の子から始まる系統を御先大川、同じ今帰仁按司系でも安慶名大川按司次男から始まる系統を後大川と呼んでいるようです。
後大川は3代続いたと云われているようです。

北山との戦の伝承

「沖縄のグスクめぐり」では御先大川時代が背景の伝承として、攻め込んできた北山軍との戦の伝承を「古堅の戦い」として紹介しています。
北山は中山攻略の足がかりとして比謝橋を狙っていました。
そして屋良グスクはその要衝を押えるように立ちはだかっていました。
比謝川河口から攻め入った北山軍と迎え撃った大川軍は古堅で戦となり、激戦となります。
両軍とも大きい被害を出しましたが、力尽きた北山軍は敗走したと云われているようです。
北山は後に再度侵攻するものの、やはり大川軍に敗れたのだそうです。

阿麻和利出生地の伝承

第一尚氏によって北山が滅ぼされた後、北山王の娘が読谷山古堅に落ち延びたのだそうです。
それを当時の屋良大川按司が知り、後に二人の間に生まれた子が阿麻和利と云われているようです3)沖縄拝所巡り300 P198
別の伝承では南山滅亡後、兼城グスクから落ち延びた(もしくは捕らえられた)兼城按司の娘との間に生まれた子とも云われているようです4)琉球王国の真実 P116

感想

このグスクは北に対して比謝川を挟んでいて要害となっており対北山を意識した構造と思われます。
そして上記の通り、北山との戦の伝承も残されているようです。
グスク自体は公園となっていますが、破壊を受けたためか構造が分かり難い印象でした。

探訪記

グスク入り口 公園入り口付近。かつての郭は段差としてある程度残っています。
二の郭の拝所 二の郭の拝所。
ここで一番グスクの雰囲気を残しています。
主郭跡 かつての主郭にある展望台。
意外に見晴らしは良いです。

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脚注

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1, 2. 沖縄のグスクめぐり
3. 沖縄拝所巡り300 P198
4. 琉球王国の真実 P116

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