仲栄真グスク

仲栄真グスク

データ

グスク名 仲栄真グスク
読み なかえまぐすく
別名
所在地 南城市玉城富里
現況 南城市陸上競技場駐車場
築造年代 15世紀?
築造者 豊見城按司?
主な城主 豊見城按司?、八幡加那志
種別 居城
構造物 城壁、拝所、古墓、石積

記録

初回探訪年月日 2005/9/3
最終探訪年月日 2008/3/22
満足度(A-G) C 廃城後破壊されたと云われ、遺構は多くありません。
過去の記述
所在地 南城市玉城富里
分類 居城
築造年代 第一尚氏時代
築造者 豊見城按司
主な城主 豊見城按司・八幡加那志
国民運動場駐車場とその近辺に遺構があります。第一尚氏滅亡の際、それに反する者達が集った場所といわれています。しかしその後第二尚氏の手により破壊されたようです。
第二尚氏との戦いで戦死した武将の墓と言われる古墓があるようで、第一尚氏と第二尚氏の戦いがあったのかも知れません。

概要

仲栄真グスクは富里集落東側、標高約89mほどの場所にあります。
グスクの遺構は南城市陸上競技場駐車場周辺で確認出来ます。

歴史、伝承

このグスクは第一尚氏の頃、王族の豊見城按司によって築かれたと云われています。
豊見城按司は尚巴志の庶子とも云われているようです1)琉球王国の真実 P133
その後、尚泰久王の四男で豊見城按司の甥にあたる八幡加那志が首里から降りてきて、グスクを増築したとされています。
近隣では長兄である安次富金橋が安次富グスクに、次兄の三津葉多武喜が大川グスクにそれぞれ居を置いています。
彼ら兄弟は母親が中城按司護佐丸の娘であったため、首里から下り叔父である布里王子を頼ってこの地に移ったと云われています2)沖縄戦国時代の謎

第一尚氏滅亡後

第一尚氏が滅びた後周辺に第一尚氏の王族が多くいたためか、このグスクは第二尚氏に対抗する拠点として用いられたようです。
グスク周辺の古墓は所謂尚円革命の際に討ち死にした将たち遺骨が入っていると云われているようです3)沖縄のグスクめぐり
尚真王の時代には第一尚氏の復興を恐れてグスクを破壊し、石は富里の旧道であるウザファビラなどの敷石として用いられたとされています。

感想

グスクの遺構は南城市陸上競技場駐車場の周辺に断片的な形で残っています。
伝承では第二尚氏により破壊されたと云われている事から、陸上競技場などが出来る前から現在に近い形だったのでしょう。
城壁だったと思われる切石積みの石積み遺構が残っていますが、グスクの構造が把握できない程度にしか残っていないのが残念な所です。
第二尚氏からすれば放って置けない程のグスクだったのかも知れません。

探訪記

駐車場内の石積み 国民運動場駐車場内に佇む石積み。
石積み 城壁跡と思われる石積みは
以前と比べて草木に覆われているように見えます。
道 駐車場から植え込みを抜けた場所にある道。
拝所 道の先にある拝所。

グスク一覧 グスクみちTOP

脚注

   [ + ]

1. 琉球王国の真実 P133
2. 沖縄戦国時代の謎
3. 沖縄のグスクめぐり

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