北谷グスク

データ

グスク名 北谷グスク
読み ちゃたんぐすく
別名 大川グスク、池グスク
所在地 北谷町大村
現況 米軍基地内
築造年代 13世紀?
築造者 不詳
主な城主 北谷王子?、金満按司?、大川按司?、谷茶按司?
種別 居城
構造物

記録

初回探訪年月日 2015/9/20
最終探訪年月日
満足度(A-G) / 現在米軍基地内のため進入出来ません。

概要

北谷グスクは大村地区西側、白比川に沿って南岸に伸びている舌状台地先端部、標高約30mの場所に築かれたグスクです。
グスクは三つの郭と石積み遺構を残すとされていますが、現在は米軍基地(キャンプ・フォスター)の敷地内となっているため一般の立ち入りは出来ません。

歴史、伝承

このグスクの詳細な歴史は分かっていないようです。
ただ伝承によれば舜天王統三代目義本王の次男が北谷王子であったと云われているようです1)琉球王国の真実 P24
また英祖王の王子に北谷王子がいて、北谷グスクに置かれていたと云われ2)沖縄のグスクめぐり3)「琉球王国の真実」P33では四男、北谷王子の子は金満按司と称したと云われているようです4)沖縄のグスクめぐり
その後金満按司が居城としていたと云われていますが、その金満按司は大川按司に滅ぼされたと云われています。
しかし大川按司も谷茶按司に滅ぼされたと云われています。
谷茶按司がどうなったかという事については伝えられていない模様です。
第二尚氏時代の1609年、島津氏侵攻に際して佐敷筑登之興道が守将として守っていたようですが、島津軍はグスクを素通りし首里城を陥落させます。首里城陥落の報を聞いた興道は自害したと言われています5)ぐすく-グスク分布調査報告 (Ⅰ)-沖縄本島及び周辺離島6)琉日戦争一六〇九 P267

落城伝説

大川按司が城主だった頃、按司の頭役で武勇者だった村原比屋が山原に使いで出払っている隙を付いて谷茶按司の軍が攻めて来たと云われています。
谷茶按司はグスク内に井戸は無いと思い込んでいて、グスクを包囲していればすぐに陥落すると考えていましたが、大川按司の軍は籠城してなかなか降伏しません。
耳を澄まして聞いているとつるべの音がし、井戸があることが分かったため、グスクの側面に穴を掘って水をグスクの外に流すことで降伏に追い込んだと云われているようです7)沖縄戦国時代の謎 P100

探訪記

北谷グスク近景 グスク西側、
58号線の向かい辺りから撮ったグスク近景。
北谷グスク遠景 58号線沿いの南側から見たグスク遠景。
場所を探していたら土砂降りの雨が降ったため車内からの撮影です。

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脚注

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1. 琉球王国の真実 P24
2, 4. 沖縄のグスクめぐり
3. 「琉球王国の真実」P33では四男
5. ぐすく-グスク分布調査報告 (Ⅰ)-沖縄本島及び周辺離島
6. 琉日戦争一六〇九 P267
7. 沖縄戦国時代の謎 P100

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