安谷屋グスク

安谷屋グスク

データ

グスク名 安谷屋グスク
読み あだにやぐすく
別名
所在地 北中城村安谷屋
現況
築造年代 不詳
築造者 不詳
主な城主 安谷屋按司、中城若松
種別 居城
構造物 拝所、郭、拝井、按司墓、石積

記録

初回探訪年月日 2005/9/23
最終探訪年月日 2007/5/3
満足度(A-G) D 石積み遺構などはそれほど見受けられない印象です。
過去の記述
所在地 北中城村安谷屋
分類 居城
築造年代 不詳
築造者 不詳
主な城主 安谷屋按司、中城若松

このグスクには安谷屋按司が居していましたが、
第一尚氏滅亡の際に国直グスクで反乱を企て失敗し、
按司は行方不明になります。
代わりにこのグスクに派遣されたのが尚円王の息子である若松です。
この地で生まれた若松は民にに慕われる領主だったそうです。

概要

安谷屋グスクは安谷屋集落北側の丘陵上、標高約90mの場所にあるグスクです。
南北に細長く造られた連郭式のグスクと見られています。

歴史、伝承

第一尚氏王統時代まで – 安谷屋按司

このグスクが築かれた詳細な時期は分かっていないようですが、採取された遺物は14-15世紀の物と見られているようです1)ぐすく-グスク分布調査報告 (Ⅰ)-沖縄本島及び周辺離島
第一尚氏の頃は安谷屋按司が居を置いていたと云われていますが、安谷屋按司は尚泰久王の娘婿であったとする伝承もあるようです2)琉球王国の真実 P1233)琉球王国の真実 P160
1469年、第一尚氏が滅亡すると、城主の安谷屋按司は越来グスクの大城賢雄とともに第二尚氏に反旗を翻します。
安谷屋按司や大城賢雄らは野國村に国直グスクを築いていましたが、第二尚氏に先手を打たれて攻撃を受け、安谷屋按司は行方をくらませたとも隠棲とも云われています。

第二尚氏王統時代 – 中城若松

安谷屋按司が去った後、尚円王は息子の中城若松を安谷屋按司にしたと云われています。
若松は尚円王が安谷屋ノロとの間に儲けた子と云われており4)沖縄戦国時代の謎 P985)琉球王国の真実 P183、安谷屋で育ったのだそうです。少年期は王府の給仕役である小赤頭(くあかがみ)として出仕していましたが、安谷屋から勤務していたと云われているようです6)琉球王国の真実 P1837)沖縄の拝所巡り300 P163
安谷屋にいた頃の若松はおもろでも謳われており、8)おもろさうし (岩波文庫 上 P59)第二 くに中のしよりもりぐすくが節領民に慕われる按司だったと思われます。
しかし異母弟である尚真王が即位し、中央集権政策を進めていくと若松も首里へ移住することとなります。
それによりグスクは廃城になったと思われます。
那覇上間村の地頭職に任じられ、任地で没した若松ですが、遺言によりグスク西の与那覇(ユナハン)丘に弔われ、現在その場所は若松の墓がある若松公園となっています。

感想

若松の墓がある若松公園の東にある高台がグスクです。
若松の墓はグスクと見紛うかのような立派な石積みがあるため、最初はグスクと勘違いしました。
変わってグスクに向かう際は高台へ登り、イーヌカーから更に奥へ進んで行きます。
グスク内は拝所の他に石段や石積みといった遺構も確認していますが、下草が多い場所もあって、まだ充分な探索は出来ていない印象です。

探訪記

中城若松の墓。 グスク域西側、若松公園内にある
中城若松の墓。
グスク域にあるイーヌカー。 グスク域にあるイーヌカー。
火の神もあります。
イーヌカー奥の石段 イーヌカー奥の石段。
石段は遺構のように見えますが実際はどうでしょうか。
道。 石段を登り奥に進む道
雑草が茂っています。
平場。 道を進むと平場に出ます。
奥には道が見えます。
拝所。 平場の一角にある拝所。
斜面。 平場から北へ進むと斜面が見えます。
斜面の下は森が途切れているようです。
石積み。 斜面の途中に見える石積み。
遺構は少ないようです。

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脚注

   [ + ]

1. ぐすく-グスク分布調査報告 (Ⅰ)-沖縄本島及び周辺離島
2. 琉球王国の真実 P123
3. 琉球王国の真実 P160
4. 沖縄戦国時代の謎 P98
5, 6. 琉球王国の真実 P183
7. 沖縄の拝所巡り300 P163
8. おもろさうし (岩波文庫 上 P59)第二 くに中のしよりもりぐすくが節

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