伊波グスク

伊波グスク

データ

グスク名 伊波グスク
読み いはぐすく
別名 美里グスク
所在地 うるま市石川伊波
現況
築造年代 14世紀頃?
築造者 伊覇按司
主な城主 伊覇按司
種別 居城
構造物 城壁、拝所、城門、郭、石碑、説明板

記録

初回探訪年月日 2005/11/17
最終探訪年月日
満足度(A-G) A 規模は小さめですが、遺構は全体的に良く残っています。
過去の記述
所在地 うるま市石川伊波
分類 居城
築造年代 13世紀
築造者 伊波按司
主な城主 伊波按司・伊覇按司

郭が一つの単郭式のグスク。
中北山王統滅亡の際に今帰仁より落ち延びた嫡子が築いたといわれています。

概要

伊波グスクは伊波集落北東、標高約87mの微高地に築かれたグスクです。
グスクは東側が断崖に面していて、単郭式の構造となっています。

歴史、伝承

築造から第一尚氏時代

1322年、羽地按司である怕尼芝により今帰仁按司は滅ぼされたと云われています。
今帰仁按司の子、今帰仁子は伊波集落の隣である嘉手苅集落まで落ち延び、洞穴に隠れて暮らしていたのだそうです。1)沖縄戦国時代の謎
やがて村人たちはそんな今帰仁子を知り、グスクを築き按司に推戴したのが始まりと云われています。
初代伊覇按司である今帰仁子に始まる伊覇按司の一族は安慶名(具志川間切)、屋良(北谷間切)、山田、大湾(読谷山間切)など中山北部に勢力を築き、仇敵である怕尼芝王統の北山に対抗したと見られています。
伊覇按司は佐敷按司巴志に娘である真鍋樽2)琉球王国の真実 P1233)wikipediaでは眞鍋金を嫁がせ、その影響力で北山を働きかけたと覆われます。
また今帰仁子の子である二代目伊覇按司は第一尚氏の下、北山などで転戦したと云われています。

第二尚氏時代

初代伊覇按司の娘が尚巴志の妃となり、第一尚氏の所謂外戚という立場であった事もあってか第一尚氏滅亡に際して抵抗して討たれたと云われているようです。4)沖縄戦国時代の謎
しかし尚真王の治世までは存続し、五代目の伊覇按司仲賢5)琉球王国の真実 P1236)沖縄の名城を歩く P1067)沖縄戦国時代の謎では7代目8)その他名前が挙がっていない例ではwikipediaでは3代目、「ぐすく」では4代目とあまり一定していません。は1500年頃の中央集権政策で首里に移り住んだためグスクは廃城になったと思われます。

感想

このグスクは単郭ということもあり、比較的小規模なグスクです。
しかし郭を廻る野面積みの城壁はほぼ完全に近いのではと思われるほどよく残っています。
また東側の崖に面した箇所からは見晴らしも良く、金武湾まで見ることが出来ます。
このグスクから始まる一族から読谷山按司護佐丸や喜屋武按司の末裔とされる大城賢雄を輩出したことを考えると、規模は小さくても歴史的には重要なグスクと思われます。

探訪記

城門付近 城門付近。
郭から見た東門 郭内から見た東門
ほぼ原型を留めた城壁 城壁。
場所によっては荒れていますが、ほぼ原形をとどめています。
郭内 郭内。
手入れが行き届いた印象です。
崖に面した地点からの眺め 崖に面した部分。
眺めは良いです。

グスク一覧 グスクみちTOP

脚注

   [ + ]

1, 4. 沖縄戦国時代の謎
2, 5. 琉球王国の真実 P123
3. wikipediaでは眞鍋金
6. 沖縄の名城を歩く P106
7. 沖縄戦国時代の謎では7代目
8. その他名前が挙がっていない例ではwikipediaでは3代目、「ぐすく」では4代目とあまり一定していません。

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