勝連グスク

勝連グスク

データ

グスク名 勝連グスク
読み かつれんぐすく
別名
所在地 うるま市勝連南風原
現況
築造年代 13世紀頃
築造者 勝連按司
主な城主 勝連按司、浜川按司、茂知附按司、阿麻和利
種別 居城
構造物 城壁、拝所、城門、井戸、郭、石積み、標柱、説明板

記録

初回探訪年月日 2005/12/15
最終探訪年月日 2009/4/1
満足度(A-G) A 大規模かつ立派な遺構が全体的に残っています。
過去の記述
所在地 うるま市勝連南風原
分類 居城
築造年代 13世紀頃?
築造者 勝連按司
主な城主 勝連按司・浜川按司・茂知附按司・阿麻和利
勝連の英雄・阿麻和利の居城。
郭が一つずつ連なった梯郭式のグスクです。
丘に連なる主郭から三の郭までの三つの郭の他に、
かつて二つのアーチ門と城壁を備えていたという四の郭や
反対の丘にある五の郭(東郭)を備えた結構大規模なグスクだったようです。

概要

勝連グスクは南風原集落の南側、標高約98mの丘陵に築かれたグスクです。
最高所を主郭として5つの郭を段々に連ねた梯郭式のグスクで、多くの遺構が残っています。
国指定史跡で世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つで、護佐丸・阿麻和利の舞台として知られています。

歴史、伝承

築造~浜川按司

このグスクがある場所は後期貝塚時代(4世紀頃~12世紀頃)の末期頃から人々の生活の場であったと見られているようです。
城郭として整備されるようになったのは13世紀頃からとされています。
伝承によれば英祖王統二代目大成王の五男が最初の勝連按司になったと云われています。
英祖王統系の勝連按司は5代続いたと云われています。
後の察度王は勝連按司の娘を妻に迎えたとする伝承も知られていますが、二代目勝連按司の娘1)琉球王国の真実 P149とも三代目勝連按司の娘2)沖縄拝所巡り300 P210とも云われているようです。
六代目勝連按司は伊覇按司の六男と云われていますが3)沖縄拝所巡り300 P2104)沖縄のグスクめぐり、英祖王統系から伊覇按司系に交代した経緯については五代目勝連按司に子がいなかったため伊覇按司の子が養子に入ったとも、伊覇按司に攻められ滅ぼされたとも云われているようで、はっきりしていません5)「沖縄のグスクめぐり」「沖縄拝所巡り300」では両説を併記しています。
伊覇按司系の勝連按司は六代目の一代限りで、浜川按司に滅ぼされたと云われ、浜川按司は七、八代目と2代続くも茂知附按司に滅ぼされたと云われています。6)沖縄拝所巡り300 P2107)「沖縄のグスク巡り」では不詳としています。

茂知附按司~阿麻和利

九代目の勝連按司である茂知附按司は望月と表記する場合もあり8)ぐすく-グスク分布調査報告 (Ⅰ)-沖縄本島及び周辺離島9)琉球王国の真実 P149、その事から倭寇の流れを汲んでいると見る向きもあります10)新琉球王国史4 P24
伝承では茂知附按司は圧政を敷き酒に溺れた事から、領民たちと謀った家臣の加那(後の阿麻和利)に亡き者にされたと云われています。
十代目の勝連按司となった加那こと阿麻和利は活発に交易を行い勝連を繁栄させたと云われ、おもろでも「肝高の阿麻和利」と謳われています。
当時の勝連は首里王府も放置出来ず、1440年に第一尚氏三代目尚忠王は読谷山按司だった護佐丸を座喜味グスクから中城グスクに移して牽制させたとされています。
しかし当時の勝連按司は茂知附按司であったとする見方もあります。11)新琉球王国史4 P23-2412)「琉球王国の真実」には阿麻和利が按司に就いたのは1453年頃としています。
また第一尚氏六代目尚泰久王は王女である百十踏揚を阿麻和利に嫁がせています。

王府軍により落城

1458年、阿麻和利は護佐丸に不審な動きありと首里に伝え、その謀略で王府軍を率いて中城グスクを攻め、護佐丸を自害に追い込みます。
しかし後に百十踏揚が守役の大城賢雄と一緒にグスクを抜け出し首里へ逃走、阿麻和利は軍勢を率いてそれを追いますが、首里で王府軍の迎撃に遭い敗れます。
そして首里王府に公然と弓引く形となった阿麻和利は、大城賢雄率いる王府軍に攻められます。
伝承では王府軍は堅牢なグスクを攻めあぐね、大城賢雄が女装して城壁をよじ登って阿麻和利に接近し討ち取ったと云われています。
阿麻和利が滅びた後、グスクは廃城になったと云われています。

感想

個人的には最も気に入っているグスクです。
丘の上に聳え立つ古城といった姿は他のグスクとは違った趣があります。
最初訪れた当時は駐車場扱いだった四の郭も城壁が復元されるなど、整備が進んでいる印象です。
いずれは往時に近い形になるのかも知れません。

探訪記

四の郭~主郭

複数時期の写真が混在しています。

四の郭の井戸 四の郭からみるグスク遠景
以前駐車場として使用されていた四の郭には
数箇所の井戸があります。
四の郭から主郭方面を見ます。
三の郭 建物跡がある二の郭
階段を上がったところの三の郭です。
二の郭の前庭だったと見られています。
三の郭から少し高くなった場所にある二の郭には
建物跡があります。
主郭へ向かう石段 主郭入り口付近
主郭へ向かう石段を見上げてみます。 主郭入り口付近。
主郭から見る東郭 主郭
主郭から東郭を見下ろします。
手前の小さな丘がそれと思われますが、
道らしきものは見当たりません。
主郭には御嶽などもあります。

東郭

2009/4/1探訪時の物です。

東郭へ向かう道 道
四の郭から東郭の方向へ登る道 東郭へ向かう道
途中にロープ伝いに進む箇所もありますが
道自体は非常に短いです
東郭 東郭
東郭の様子。東側を見たもの。
荒涼とした雰囲気です
東郭北西側から南を見ます。
礎石らしきものも見受けられます。
切石積み 切石積み
東郭中央付近には
切石積みの遺構らしきものも見られます。
切石積みの遺構(?)は
大分土砂を被っています。
石積み 拝所
東郭東側にある石積み
遺構かどうかはっきりしません。
東郭の西側にある拝所

グスク一覧 グスクみちTOP

脚注

   [ + ]

1, 9. 琉球王国の真実 P149
2, 3, 6. 沖縄拝所巡り300 P210
4. 沖縄のグスクめぐり
5. 「沖縄のグスクめぐり」「沖縄拝所巡り300」では両説を併記しています。
7. 「沖縄のグスク巡り」では不詳としています。
8. ぐすく-グスク分布調査報告 (Ⅰ)-沖縄本島及び周辺離島
10. 新琉球王国史4 P24
11. 新琉球王国史4 P23-24
12. 「琉球王国の真実」には阿麻和利が按司に就いたのは1453年頃としています。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする