喜屋武グスク

喜屋武グスク

データ

グスク名 喜屋武グスク
読み きゃんぐすく
別名 喜屋武マーブ、火打嶺(フィータチモー)グスク
所在地 うるま市具志川喜屋武
現況 喜屋武マーブ公園
築造年代 14世紀頃?
築造者 喜屋武按司
主な城主 喜屋武按司、栄野比大屋子
種別 居城
構造物 標柱

記録

初回探訪年月日 2005/9/23
最終探訪年月日
満足度(A-G) E 戦前から破壊されていた後に公園として整備され、面影は残っていません。
過去の記述
所在地 うるま市具志川喜屋武
分類 居城
築造年代 不詳
築造者 不詳
主な城主 不詳

かつては狼煙台も備えたグスクだったそうですが、
様々な事情で破壊され、現在の「喜屋武マーブ公園」からグスクの面影を見ることはできません。
阿麻和利討伐の総大将として戦功をあげた鬼大城こと大城賢雄の出生地です。

概要

喜屋武グスクは喜屋武集落の南、仲嶺集落の南西にある標高約100mの丘陵上にあったとされるグスクです。
烽火台として用いられたと云われている事から、火打峰とも呼ばれたグスクですが、昭和6年頃から石垣は道路工事用の石材として取り壊されたのだそうです。1)ぐすく-グスク分布調査報告 (Ⅰ)-沖縄本島及び周辺離島
現在は公園として整備され喜屋武マーブ公園となっています。

歴史、伝承

伝承によれば安慶名按司が四男を喜屋武按司として配した事に始まると云われています。
その後、子の喜屋武按司、孫の栄野比大屋子と三代に渡る居城であったと云われているようです。
栄野比大屋子は若くして没した事から、夫人は三人の子を連れて実家である知花村の大城家に身を寄せたと云われているようです。2)沖縄戦国時代の謎
その内の長子は後に越来王子尚泰久に仕え、護佐丸阿麻和利の乱で王府軍を率いて阿麻和利を討伐した大城賢雄と云われています。

感想

上記の通りグスクの遺構は昭和初期に失われてしまった事もあり、面影は残っていません。
散策した範囲では拝所は見受けられず、標柱がなければ普通の公園という印象でした。
按司墓があると思われるグスク最高所へ向かうと思しき道は藪で進入出来ず未確認です。

探訪記

公園化されたグスク きれいに整備された公園内。
このような標柱が何本か立っています。
グスク奥へ向かう道 グスク中心部と思われる場所へ向かう道は
雑草で塞がっています。

グスク一覧 グスクみちTOP

脚注

   [ + ]

1. ぐすく-グスク分布調査報告 (Ⅰ)-沖縄本島及び周辺離島
2. 沖縄戦国時代の謎

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