浦添グスク

所在地浦添市仲間
分類居城
築造年代不詳
築造者不詳
主な城主舜天・英祖・察度の各王統
第二尚氏浦添家(小禄御殿)
舜天が王統を開いた際に居城にしたとされ、
佐敷按司・巴志が武寧王を滅ぼすまで中山の中心だったといわれています。
その後しばらく主がありませんでしたが、
第二尚氏の時代に尚真王の長男で廃嫡された尚維衡が、荒れた浦添グスクを整備して居城とします。
小禄御殿四代目の尚寧は第二尚氏七代目国王となり首里に上ります。しかしその治世に薩摩が侵攻し浦添グスクも破壊されますが、尚寧王はグスクを再建し居したといわれています。。
尚寧王が玉陵に入らなかったのは薩摩の侵攻を許したことが理由ではなく、元々首里の玉陵に入るつもりは無かったようです。
沖縄戦ではグスクは日本軍により要塞化され、米軍の攻撃を受ける事になり、城壁なども徹底的に破壊されましたが、最近は復元が進んでいます。

残った石積み破壊された石積み
古びた石積み。こういった石積みはところどころに見えますが、
かつての繁栄を思い起こさせるほどでもありません。
城壁跡復元された城壁
グスク北東にある城壁の跡。上の写真と同じ場所。
残っていた石積みがどれだけ僅かだったか分かります。
工事中?グスク内
復元された城壁の向かいにあった石積み。
これから工事でも行われるのでしょうか?
グスク内。
この一帯はミーグスク(新城)と呼ばれています。
公園として整備されていて散策はしやすいです。
ディーグガマ殿
グスク内にある御嶽ディーグガマ。
渡嘉敷嶽とも呼ぶそうです。
殿。
堀跡浦添城の前の碑
南西にある堀跡。それほど深いものではありません。
付近には柵列も発見されたのだそうです。
浦添城の前の碑。
1597年尚寧王が首里城と浦添グスクを結ぶ道を
整備した際の記念碑です。
平仮名の琉球文と漢文の両方で刻まれているものですが、
沖縄戦で破壊され、現在あるものは1999年に
復元されたものです。
カガンウカー立ち入り禁止
堀跡付近にあるカガンウカー。グスク東側(コーグスクと呼ばれる一帯)へ
向かうことは出来ないようです。
フェンスが張られています。

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