山田グスク

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山田グスク

データ

グスク名山田グスク
読みやまだぐすく
別名
所在地恩納村山田
現況
築造年代14世紀頃
築造者山田按司
主な城主山田按司、護佐丸
種別居城
構造物拝所、郭、按司墓、石積

記録

初回探訪年月日2006/1/9
最終探訪年月日2009/4/4
満足度(A-G)Cグスクの石は座喜味グスクに用いられたとも云われ、遺構は多くありません。
過去の記述
所在地恩納村山田
分類居城
築造年代不詳
築造者山田按司
主な城主山田按司、護佐丸

読谷山集落跡の奥にあるグスク。
山田按司が築いたグスクですが、その三、四代目城主だった護佐丸が座喜味グスクを築く際にこのグスクの石を利用したといわれています。

概要

山田グスクは山田集落南東、東西に細長く伸びた台地先端で標高約95mの場所にあるグスクです。
グスクは七つの郭と見られる平場が確認されていて[1]沖縄の名城を歩く P123-124、北側崖下には護佐丸父祖の墓や山田集落古島、山田谷川の石矼といった史跡や遺跡が残っています。
後に中城按司となる護佐丸が生まれたグスクとして知られています。

歴史、伝承

このグスクは初代伊覇按司の子[2]「沖縄のグスクめぐり」によれば五男[3]「琉球王国の真実」P123では次男である山田按司によって築かれたと云われています。
何代目かの山田按司(読谷山按司)が護佐丸と云われていますが、こちらも資料により差異がありはっきりしません[4]「沖縄のグスクめぐり」によれば三代目か四代目[5]「琉球王国の真実」P123では二代目。いずれによせ護佐丸は怕尼芝に滅ぼされたと云われている今帰仁按司の流れを汲むと見られています。
1416年頃、護佐丸は北山王国滅亡後の今帰仁グスクの城主に任じられますが、その任にあった頃、北山の支配下にあった奄美諸島から人夫を駆り出して座喜味グスクを築くため、山田グスクから石を運搬させたと云われているようです[6]沖縄戦国時代の謎 P134ので、この頃には実質廃城であったと思われます。

感想など

グスク下を通る国頭方西海道からグスクへの道は明示されていませんが、道を探してたどり着けます。
しかし道はロープを掴んで登ったり進む必要があります。
登る段差はそれほどではありませんが、崖にも面しているため、危険性があると見て当ページでは進入路などは示していません。
北側から段差を登ってグスク内に入ると拝所があり、その背後には根石らしき石積みが到るところに残る平場でした。
根石という事もあってか、その石積みからでは郭の構造などまでは分からないという印象でした。
あれから10年経ってますので、調査も進み周辺の状況も変わっているのでしょうか?

ギャラリー

2006/1/9

グスクへ向かう道グスクへ進む段差
グスクへ向かう道。雑草が茂っています。グスクへ登る段差。
周囲は崖もあるので注意が必要です。
グスク内の道僅かに見られる石積み
グスク内の道。雑草の為か非常に狭いです。ロープが張られています。僅かに石積みが残っているのですが、雑草が覆い隠して分りにくいです。

2009/4/4

グスク付近の案内板段差を見上げます
二度目の探訪にて
グスク付近の案内板。
グスクへ向かう段差を見上げたところ
段差は2mほどです。
段差上の道道
段差上の道
しばらくロープ伝いに進んでいきます。
奥へ向かう道
拝所石積み
道を進むと木の根元に拝所があり
その裏手に石積み遺構が見えます。
拝所の裏に見える石積み遺構
石塁と思われる遺構石積み遠景
石積みの高さは1mもありません
現在は石塁程度の高さです。
グスク内を仕切るように複数の石積みがあります。
神アサギ石積み
グスク下の道沿いにある神アサギ。神アサギの前を通過してさらに進んだところにある
護佐丸父祖の墓
メーヌカー山田谷川の矼
護佐丸父祖の墓などの斜面下にある
メーヌカー(前の井)。
山田谷川の矼

グスク一覧 グスクみちTOP

脚注

脚注

1沖縄の名城を歩く P123-124
2「沖縄のグスクめぐり」によれば五男
3「琉球王国の真実」P123では次男
4「沖縄のグスクめぐり」によれば三代目か四代目
5「琉球王国の真実」P123では二代目
6沖縄戦国時代の謎 P134

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