屋我グスク
データ
グスク名 | 屋我グスク |
読み | やがぐすく |
別名 | – |
所在地 | 名護市屋我 |
現況 | – |
築造年代 | 13世紀? |
築造者 | 不詳 |
主な城主 | 不詳 |
種別 | 集落、聖域 |
構造物 | 城壁、拝所、拝井、郭、虎口、石積 |
記録
初回探訪年月日 | 2009/4/3 | |
最終探訪年月日 | – | |
満足度(A-G) | B | 遺構は全体的に良く残っている印象です。 |
過去の記述
所在地 | 名護市屋我 |
分類 | 集落、聖域、居城(?) |
築造年代 | 13世紀頃(?) |
築造者 | 不詳 |
主な城主 | 不詳 |
屋我地島南東部、古宇利大橋へ向かう県道の東側の丘陵上に築かれたグスク。
遺物から築造は13~14世紀と見られているようです。
グスクを中心にして近世まで集落が存在したようで、古琉球時代の祭祀施設でもあったようです。
概要
屋我グスクは屋我地島南東部、屋我集落の北、標高36mの丘陵上に築かれたグスクです。
グスクを中心にして近世まで集落が存在したようで、古琉球時代の祭祀施設でもあったようです。
歴史
築造時期など詳細は歴史は分かっていないようですが、遺物から13世紀頃に古琉球時代には祭祀施設などとして用いられていたと見られている様です[1]ぐすく-グスク分布調査報告 (Ⅰ)-沖縄本島及び周辺離島。
かつてはグスクを中心に集落が営まれていたようで、グスクの周囲に拡散しながらも1858年まで集落が存在していた模様です[2]ぐすく-グスク分布調査報告 (Ⅰ)-沖縄本島及び周辺離島[3]角川日本地名大辞典 47 沖縄県 P690。
感想
グスクは大規模ではありませんが、遺構は良く残っています。
郭や城壁などのような遺構も残っていますが、初期は集落の中心だった場所なのかも知れません。
グスク頂部の平場は石積みに囲われ郭にも見え、実際単郭型の小型グスクとも見られている様です[4]グスク・共同体・村 P44。
ギャラリー
北側から見たグスク遠景。 丘の頂上部がグスクの中心だったと思われます。 | グスク方面へ向かう道を南から見ます。 途中で細い道が枝分かれしています。 |
グスクの手前に拝所があります。 資料によれば済井出集落の拝所だそうです。 | 拝所を過ぎると右手側にグスクへの道が見えます。 |
道は途中でU字に曲がっています。 | グスク内の拝所。 背後にみえる岩壁の上が グスクの中心部と思われます。 |
拝所からさらに進むと頂上部への道があります。 道は途中から石段になっています。 | グスク頂上部入り口。 写真では分かりにくいですが 入り口の両脇に石積み遺構があります。 |
頂上部の平場。 左側に拝所が見えます。 | 頂上部は周囲を岩に囲まれ、 スペースのあるので居城に使用された 可能性もありそうです。 |
頂上部入り口脇の石積み遺構。 | グスクの北西にある屋我ガー かつての屋我集落の水源だったと思われます。 |