南城市(旧玉城村)

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南城市(旧玉城村)のグスクです。
適宜更新していきます。

旧玉城村のグスク

概要

玉城地域の領域は古琉球時代から変わっていないようです。
玉城地域は玉城グスク(玉グスク)やミントングスクなど琉球開闢の神話に関わるグスクがあり、どちらも東御廻りの聖域として知られています。
グスク時代から三山時代に掛けては糸数按司や船越按司など玉城按司の流れを汲むと云われている按司が中心であるため、やはり玉城グスクが地域の中心ではなかったかと思われます。
その一方で垣花按司のようにミントングスクから派生したと云われている按司もいたようです。
旧玉城村域は比較的グスクは多めで、按司伝承のあるグスクも少なくありませんが、三山時代には島添大里按司の勢力下になっていたようです。
また玉城グスクや糸数グスクには落城伝説があり、詳しい時代は分かりませんが三山時代から南山滅亡前後の時期では無いかと思われます。
第一尚氏時代、旧来のグスクは動向が分かっておらずグスクが用いられていたかも不明です。
しかし第一尚氏の王族によって築かれた仲栄真グスクや、首里から落ち延びた王子の居館とされる安次富グスクや大川グスクなど、第一尚氏にまつわるグスクがあります。
そういった事もあってか1469年に第一尚氏が滅亡すると、第二尚氏との間で戦が起こったと云われているようで、仲栄真グスク付近には戦死した武将の物とされる墓があり、グスク自体も第二尚氏によって破壊されたと云われています。

旧玉城村のグスク一覧

グスク名地区探訪年月日概要
垣花グスク垣花2005/12/5詳細は個別ページにて。
ミントングスク仲村渠仲村渠集落南側、標高約110mの丘陵上に位置するグスクで、グスク自体が小高い岩山となっているようです。
しかし私有地内という事もあって、まだ探訪出来ていません。
玉城グスク玉城2009/4/2詳細は個別ページにて。
タカラグスク[1]角川日本地名大辞典 47 沖縄県:グスク分布図玉城「分布図」では御嶽と記載されています。
現在は琉球ゴルフ倶楽部敷地内となっていますが、英祖王統の玉城王、西威王の墓と云われているそうです[2]琉球王国の真実 P51
糸数グスク糸数2007/7/16詳細は個別ページにて。
根石グスク糸数2008/3/22詳細は個別ページにて。
船越グスク船越2005/9/3詳細は個別ページにて。
仲栄真グスク富里2008/3/22詳細は個別ページにて。
大川グスク當山2006/2/18詳細は個別ページにて。
安次富グスク當山2006/2/18詳細は個別ページにて。
大城グスク百名2005/12/5詳細は個別ページにて。
タカラグスク[3]角川日本地名大辞典 47 沖縄県:グスク分布図奥武「分布図」では御嶽と記載されています。
奥武島の西よりいあるためイリグスクとも呼ばれているようです。
奥武グスク[4]角川日本地名大辞典 47 沖縄県:グスク分布図奥武「分布図」では御嶽と記載されています。
奥武島の東よりいあるためアガリグスクとも呼ばれているようです。
ヤッカングスク[5]角川日本地名大辞典 47 沖縄県:グスク分布図不詳「分布図」では単独墓と記載されていまが、詳細は不明です。
クバグスク[6]角川日本地名大辞典 47 沖縄県:グスク分布図不詳「分布図」では御嶽と記載されていまが、詳細は不明です。
仲間グスク[7]角川日本地名大辞典 47 沖縄県:グスク分布図不詳「分布図」では御嶽と記載されていまが、詳細は不明です。
上間グスク[8]島添大里城跡保存管理計画書不詳島添大里城跡保存管理計画書 P9「グスク時代遺跡分布図」によると
糸数グスクの北にあるようです。
糸数按司を滅ぼしたと云われる、上間按司に関するグスクと思われます。

参考

ぐすく:グスク分布調査報告書―沖縄本島及び周辺離島
沖縄県埋蔵文化財センターGIS遺跡地図(現沖縄県地図システム)
角川日本地名大辞典 47 沖縄県
琉球王国の真実
島添大里城跡保存管理計画書

脚注

脚注

1, 3, 4, 5, 6, 7角川日本地名大辞典 47 沖縄県:グスク分布図
2琉球王国の真実 P51
8島添大里城跡保存管理計画書

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