南城市(旧大里村)

シェアする

南城市(旧大里村)のグスクです。
適宜更新していきます。

旧大里村のグスク

概要

大里地域はかつて与那原町全域と現在の佐敷地域の一部も含んでいました。
この地域で最初に勢力を築いたのは大城按司と見られているようです[1]角川日本地名大辞典 47 沖縄県 P906
しかし14世紀末には島添大里按司が出現したとされているようです[2]角川日本地名大辞典 47 沖縄県 P906。大里グスクには元々玉村按司がいたが、島添大里按司によって滅ぼされたとする伝承もあるようです[3]沖縄のグスクめぐり
島添大里按司と大城按司の両按司がどの程度の期間並び立っていたか定かではありませんが、両按司は戦端を開き長堂原で激突したと云われています。その後稲福に戦場を移した後、大城軍の旗が倒れた事をきっかけに大城按司は自刃し滅亡したと云われています。
島添大里按司は与那原、馬天の港で交易を行い[4]沖縄の名城を歩く P46、現在南城市に相当する地域である東四間切を勢力下に収めたと云われています。
しかし1402年頃、島添大里按司は佐敷按司に滅ぼされたのだそうです。
佐敷按司はしばらく大里グスクを拠点とし、第一尚氏となったあとも離宮として用いられるなど、大里地域の中心的なグスクであったと思われます。

旧大里村のグスク一覧

グスク名地区探訪年月日概要
大城グスク大城2005/9/1詳細は個別ページにて。
稲福遺跡大城2006/2/18詳細は個別ページにて。
大里グスク大里2007/1/20詳細は個別ページにて。
ミーグスク大里2007/1/20詳細は個別ページにて。
ギリムイグスク大里2007/1/20詳細は個別ページにて。
高宮城グスク[5]沖縄の名城を歩く P70-71高平高平地区の東側、標高87.5mの丘陵上にあるグスクだそうです。
グスクは高宮城の殿などの拝所がありますが、黄金子と呼ばれる人物が拠った土のグスクともされているようです。
仲間グスク[6]角川日本地名大辞典 47 沖縄県:グスク分布図不詳「分布図」では御嶽と記載されていますが、詳細は不明です。
小グスク[7]角川日本地名大辞典 47 沖縄県:グスク分布図不詳「分布図」では御嶽と記載されていますが、分布図の地図では大城按司の墓近辺を指しているように見えます。

参考

ぐすく:グスク分布調査報告書―沖縄本島及び周辺離島
沖縄県埋蔵文化財センターGIS遺跡地図(現沖縄県地図システム)
角川日本地名大辞典 47 沖縄県
沖縄の名城を歩く

脚注

脚注

1, 2角川日本地名大辞典 47 沖縄県 P906
3沖縄のグスクめぐり
4沖縄の名城を歩く P46
5沖縄の名城を歩く P70-71
6, 7角川日本地名大辞典 47 沖縄県:グスク分布図

シェアする

フォローする