伊計グスク
データ
グスク名 | 伊計グスク |
読み | いけいぐすく |
別名 | – |
所在地 | うるま市与那城伊計 |
現況 | – |
築造年代 | 不詳 |
築造者 | 不詳 |
主な城主 | アタヘチクドン |
種別 | 居城? |
構造物 | 拝所、虎口、郭、石積 |
記録
初回探訪年月日 | 2005/12/28 | |
最終探訪年月日 | 2007/1/19 | |
満足度(A-G) | C | 遺構は残っていますが、藪で探索出来る範囲は限られている印象でした。 |
所在地 | うるま市与那城伊計 |
分類 | 居城 |
築造年代 | 不詳 |
築造者 | 不詳 |
主な城主 | アタヘクチドン |
伊計島の西側にあるグスク。
伊計大橋側の右手側にグスクのある丘が見えますが、
グスクに入るには北側から回り込む必要があります。
宮城島の泊グスクの川端イッパーと争い、滅ぼしたいう伝承があるそうです。
概要
伊計グスクは伊計島の南西に隣接した標高約49mの岩山にあるグスクです。
伊計大橋側の右手側にグスクのある丘が見えますが、グスクに入るには北側から回り込む必要があります。
グスクがある岩山はかつて島から独立していたようですが、現在は砂州で繋がった陸繋島となっています。
グスク時代ではまだ繋がってはなかったと見られているようです。
歴史、伝承
このグスクの詳細な歴史は分かっていません。
伝承によれば、アタヘチクドン[1]「沖縄戦国時代の謎」「琉球王国の真実」では「アタヘ」と表記[2]「沖縄の名城を歩く」では「アタヘ筑登之」と表記と呼ばれる按司が居を置いていて、
海を挟んで南側対岸にある泊グスクの川端イッパーという按司と争っていたのだそうです。
ある北風が強い日、アタヘチクドンは配下たちに民家から木灰を集めさせ、その灰を風に乗せて飛ばして泊グスクに降らせたのだそうです。
灰が降ってきて目潰しにあって慌てている隙をついてアタヘチクドンは泊グスクを攻めて滅ぼしたと云われています。
感想など
最初に訪れた際は進入路が分からず断念しましたが、北側のビーチ側から回り込めると情報提供を頂いて再訪した際に進入出来ました。
砂州を渡って進入しますので、潮汐によっては渡れない事があるかも知れません。
拝所を訪れる分には問題ありませんが、グスクを探索するのはやや難しいといった印象でした。
グスクから島を見下ろすと木の隙間から漁港を見ることが出来、いかにも按司の居城という気もしました。
ギャラリー
伊計大橋とその向かいに見える伊計島。 右手側がグスクのある丘です。 | |
北側の砂浜から見たグスク遠景。 正面の岩場を登ってグスクへの道を進みましたが、 他に道があるかもしれません。 | |
グスクへの道を進んで グスクに近づくと手すりが現れますので それに沿って進みます。 | |
グスク二の郭虎口。 | |
石段の左手側には石段の跡らしきものが見られます。 | |
二の郭にある伊計城之殿。 周りは雑草が茂って散策困難です。 | |
主郭へ向かう道。 多少雑草が茂っています。 | |
グスクの主郭。 木で見通しが悪く、どの程度の広さか分かりにくいです。 | |
主郭にある拝所の一つ。 中の仕切りが破損気味のようです。 |